ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

気になる言葉 AGAIN5

2022-02-21 17:15:00 | 日記
甲斐さんのラジオ番組で「スナックキズツキ」が話題になった時
「『文春』にマンガ描いてる…」と原作者である益田ミリさんのお名前を口にされてましたが
その益田さんが、我が家の購読紙のコラムに…
「プロ野球には詳しくない。セ・リーグとパ・リーグがあるのは知っている
球団名を全部言えるかは微妙なところである」…にも関わらず

ご友人たちとヤクルトのファンクラブに入会なさって
「小さい傘」をお買い求めになり「声を上げて選手を応援するのは楽しかった
いや、何より楽しかったのは、選手を応援している人々を見ることだったのかも知れない

ファン体質じゃない自分に一抹の寂しさを感じている
推しもいない。収集もしない。コレクションもない
私は自分にしか興味が持てない人間なのだろうか?そう思うと、うら寂しく
そのせいか、何かにのめり込んでいる人に輝きを感じる
ヤクルトのファンクラブに入り、私はヤクルトファンを眩しく見ていたのである

父は大の阪神ファンだった。私が高校生の時、阪神が優勝した
優勝が決まった夜、父は『ありがとう』と言って涙を流した
そして、母と私と妹に、1万円札を配り始めた
『え?なに?どの立場からのお礼なん?謎だ』と私は思った

とはいえ、自分と関係ないことに、泣くほど喜べる父が羨ましかった
優勝の翌日、阪神のハッピを着て登校して来た男子がいた
野球のことは今でもよく判らないが、応援する人々には、やっぱり憧れている」…と記されていて

どちらかというと…って、もとい、間違いなく1万円札を配る側の人間である奥さん(笑)は
「益田さんって、ウチのオカンと似たタイプやわ」と一言(苦笑)
イヤ、奥さんの母上は、映画鑑賞やスポーツ観戦、外食や旅行など
結構、アクティブにフットワーク軽く動く人なんだけど

ナンというか、その原動力が「どうしても見たい!行きたい!」といった
抑え切れない感情とか沸き上がる熱情ではなく
年を取り体が弱って自由に動けなくなってから
「あれもこれもやっておけば良かったと後悔するのがイヤだから」
…という悲観的展望による強迫観念に基づいたものらしく(苦笑)

見たいものや行きたい所の選択は、世間の評判や話題性に頼ることが多く
いわゆるヒット作品や注目の試合、観光名所や名物料理に安心するというか
本当に楽しんでいるのかどうかはビミョーな感じなんじゃないかと…?(苦笑)

ただ、益田さんのように「何かにのめり込んでいる人」を応援したいとは思わなかったらしく
奥さんが、実家で暮らしていた頃はもちろん、一人暮らしを始めてからも
「ナンで、私が甲斐バンドのライブに行くのか理解できなかったから
目の不自由な人に色の説明をしているみたいだった」んだとか…(苦笑)

それで思い出したのが、絵本作家の五味太郎さんの言葉…
「比較的感動が少ない人生を歩んでいる人に、なぜか『感動好き』が多い」…(苦笑)
「大人は感動が好きで、何かといえば子供に感動を与えたがる
しかも、その感動は類型的で代わり映えがしない
感動とは本来、不意を襲うもの、そしてしばらくは訳の判らないもの
ましてや、前もって設定など出来ないもの
自分を戸惑わせるのではなく安心させる
そんな安っぽい感動の輪を広げようとするのは、何とも気持ち悪い」…とバッサリ(苦笑)

ちなみに…あるお母様が、小さなお子さんに「サンタさん」について話される際に
「ナンとなく嘘をついてる気がするのですが…」と相談なさったところ
五味さんは…「例えば『シンデレラ』の結婚して幸せになりました…みたいな終わり方
なる訳ないと思っても『嘘をついてる』とは言わないよね?

昔話ってヤツは、ゲームやテレビもない頃に
みんなで頭に浮かんだ話を口からでまかせで話していたものだと思う
盛り上がるように、おとぎ話を作るのは、人間の芸として、とても素敵なところ
でも、残念なのは、それを悪用する大人がいること…しつけや道徳や教育にね
例えば『ウサギとカメ』を聞かされると、途中でサボらず
コツコツやんなきゃいけないという意識が刷り込まれて行くんだよな

あと、親子の距離感…『子供に嘘をついてる気がする』と言うけど
ナンで、自分の子にそんなに他人行儀なの?
自分の子には『上手いことを言ってやろう』とか思ってない?
子供たちに、メルヘンでロマンチックな空想が出来る人になって欲しいという
的外れなビジョンも社会の中にある
『サンタがいるという夢を壊しちゃいけない』と親が言うのも、そういう方向の期待だよね
子供の理想形を勝手に押し付けるのは、ガキにとっては余計なお世話だと思うな

ガキは判ってんだけど、あえて『サンタクロースっているの?』と訊いて来る
『いるよ』って言っても『そんなもん、いねーよ』って言ってもいい
ガキは、逆に『うーん、ホントにそうかな?』と考えるよね
『判んないよね』って、共有しちゃってもいい
混乱した方がいい。そうやって、自分を作るのに時間をかけてるんだから…

『サンタ』は結局、大人の側の問題だと思うな
子供は子供なりの精神活動をずーっとやっている
子供の方が、かなり冷静に大人のことを見ているよ」…とお答えになっているんですが
4歳くらいで「サンタはいない」と気づいていた(笑)奥さんは
「親の期待を裏切らないように、精一杯ビックリして、喜ぶフリをしてた(笑)」らしい(笑)

それはともかく、数学者の森毅さんは…「学校というものの中では
教師に学ぶより、友人に学ぶことの方が多いはずで
その友人が、同学年に限定されるなんてつまらない
友達といえば同級生、会社なら同期生…つまり同い年
そして、ほとんどが同性。あとはみな上下関係
なんと窮屈で退屈な社会に生きているのだろう 
うんと年の違う、出来れば異性と友人になれたら、世界は一挙に広がるのに、もったいない
これ、結構、由々しき問題である」…と話されていて

甲斐さんが、10代20代の頃は30代以上の「大人」の皆さんに「議論をふっかけた(笑)」り
ご自分が30代になられたら「若いヤツに遊んで貰おうと思った」り…と
異世代間交流に積極的でいらしたのは「音楽業界の人間は生理が同じなんで
作家とか役者とか、他の業界の友達の方が多い」のと同様に
未知の世界に興味津々というか(笑)好奇心旺盛というか(笑)
それが「面白い」とお感じになる方だからでしょうね?

生物学者の永田和宏さんも…
「大学は、既知のことを教えるのではなく、未知のことに気づかせる場です
学生には『安全な方より、まず、面白そうな方を選べ』と言っています
『それ、良いデータだね』と淡々とではなく
『ナンでそんなオモロいこと、考えられるんや!』という、ワクワクした気分が
新たな道を開く原動力になるんですから」とおっしゃってますし…(笑)

ともあれ、前述の五味さんは…「『わかった』人が『わからない』人に教えるのが教育とされるが
人生『わかった』という境地に立てる人などいない
だから『わかった』気でいる人の話には要注意
『人生、そこら辺りが問題なんだよね』と共に考えてくれる人が近くにいると1歩前に進める
一番必要なのは『わかってる』人ではなくて、現役でやっている人
つまり、今でも『わかろうとしている』人です」…と話されていて

これは、まさしく「奥さんにとっての甲斐さん」です(笑)
甲斐バンドの曲や「サンスト」での甲斐さんのトークから
音楽に限らず、あらゆるエンターテイメントの楽しみ方を学び
奥さんの人生に間違いなく影響を与えていると思われる「言葉」の数々を胸に
「今でもわかろうとしている人」のあとを追っかけ続けているんですから…(笑)
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気になる言葉 AGAIN4

2022-02-19 15:23:00 | 日記
かつて「サンスト」で、甲斐さんが「昔の映画の白黒はイイ
ナンでかっていうと、実は同じ白黒で撮っても、今は昔みたいな白黒フィルムがないわけ
だから、最初はカラーで撮っといて、あとから白黒反転にしてるわけよ
今のフィルム、粒子の情報量が多く、精巧に出来てるから
やわらか過ぎて、昔のように堅い画質で撮れないのね

古いフィルムは、それほどデリケートじゃない分、堅いトコは堅く、メリハリが効いて来るんだ
明るいトコと暗いトコのね…『道』観てご覧よ
実は『ブルー・レター』の3番の歌詞、『道』の最後なんだよ(笑)」と話されてましたが

そのイタリアの名作「道」は、上映後に別バージョンの制作やアニメ化など
様々な打診が殺到したものの、フェリーニ監督は「何故、そんなに続きを欲しがる?
みんな、それほど想像力がないのだろうか」と、それらを全て拒絶
この当時の監督は「映像に出来なかった余白の中にこそ、創造の別の種が潜む
だから、自己の模倣だけはすまい」と心に誓っていたそうです

甲斐さんが、映画「照和」のラッシュをご覧になって
丁寧に時系列通りを心がけていらした深津監督に
「全て説明しようとしなくていいんだよ」とアドバイスなさったのも
描かれていないシーンの「行間を読む」とか「余韻を楽しむ」といった
受け手側の想像力に委ねる部分というか、自由に感じることが出来る余地を残した方が
より奥行きのある作品になると思われたからじゃないかと…?

想像力といえば…少し前に甲斐さんのラジオ番組で紹介された東京新聞のコラムに
「敷居が高い」というのは「啖呵を切って家を飛び出した寅さんが
帰って来るのだが、家の前でモジモジしている状態」だと説明されてましたけど

「映画を巡る物語」という新聞の読者投稿欄の
「2年前の正月に『男はつらいよ お帰り 寅さん』を観に行った」福岡在住の女性は…
「過去の名シーンが度々出て来る構成で
博がさくらにプロポーズした場面では、とめどなく涙が溢れた

そして思い出した。10年ほど前、偶然再会した高校の同級生から
『◯◯さんが寅さんで泣いたのって、博がさくらにプロポーズした場面じゃない?
俺が寅さんになるけん、◯◯さんがリリーになってよ」と言われたこと
その彼から、高校時代に『好きな映画は?』と訊かれ『寅さん』と答えたこと
『じゃあ今度2人で観に行こうよ』と約束して、結局行けなかったこと

コロナ禍となり、私は『男はつらいよ』を全作観た。そして、色んなことが繋がった
寅さんになりたいと言った彼は、決してフーテンになりたかった訳じゃないんだ
『リリーになって』は、不器用な彼からのプロポーズの言葉だったのだ
それから彼とは会えていないけど、私は彼のことを思っている
彼が元気に楽しく暮らしていることを、ただ祈っている」…と綴られていて

当時「学生だった僕に うまく愛は語れなかった」彼の気持ちに思い至っていらしたら…と
せんないこととは思いつつ、切なくなったり
今の彼の様子を思い描いておられることにグッと来たり
我が身を振り返って、ついつい遠い目をしてしまいました(苦笑)

続いて…「高校3年の時、衝撃的な映画体験をした」という方は…
「私の高校では、年に1回、映画上映会が開かれており
1,2年生の時は、生徒からのリクエストで
早世したジェームス・ディーンの作品を観たのだが、私自身には響かなかった

だが、学校側が選んだ黒澤明監督の『どですかでん』には全身が震えたのだ
戦争がもたらす過酷な貧困の中で生きる人々
思春期だった私たちの想像を凌駕する、大人の生々しい欲望
そんな中で『どですかでん』と声を上げながら
たくましく生きる少年の姿に涙を流しながら
『これが映画だ!圧倒的な力で自分の知らない世界に誘ってくれるのだ』と感じた

『どですかでん』に対し『これが黒澤監督の映画か!?』『何を言いたいのか?』との酷評もある
ただ、当時の私にとっては『毒にも勝るほど強烈な作品』だった
そして、それに触れることが出来たおかげで
人生に彩りをもたらす映画の世界に親しむようになった
だから言いたい、ありがとう『どですかでん』」…と記されているんだけど

かつて、甲斐さんが「金をかけてる邦画が、イイにしろ悪いにしろ、コケるってイヤですね
金かけたぶん、当たって貰わないと日本映画界が、どんどん悪くなるんでね
だから、黒澤明はスゴイと思うわけ。金かけたぶん、回収するでしょ」と話されていた黒澤監督も

後半生は映画の斜陽期にぶつかって、予算に頭を悩まされるようになり
ハリウッドに活路をお求めになったものの失敗
この「どですかでん」で、復活ののろしを上げられたところが
評価は低く、興行は不調、自殺未遂に至るまで追い込まれておられたんですよねぇ…(汗)

「ヒットさせなければ…との思いが人一倍強い方でした」と言われる黒澤監督が
もし、今の時代に生まれていらしたら、潤沢な資金を提供してくれるNetflixを活用されたか?
イヤ、脚本にも映像にもトコトンこだわられるゆえに
Netflix側との衝突は避けられないかも知れないなあと…?(苦笑)

そして…「1945年の敗戦で、父の復員を母と子供6人で待っていた」方の投稿
「ある日、母が8歳の姉と6歳の私、4歳の妹を映画に連れて行ってくれることになった
出かける前に母が突然、私をおんぶすると言い出した
おんぶされるのは妹の方ではないかと訊くと
母は『(妹は)帰りにするから』と私をおんぶし、ねんねこを羽織った

ケガもしてないのに変だと思いつつ、私は背負われて映画館に入った
なぜ母は、私を背負ったまま映画館に入ったのか
長い間、気になっていたが、いつの頃か、ハッと気づいてドキリとした
母が子ども料金を払ったのは、姉の分だけだったのだ

苦しい生活の中、せめて子供たちに映画を見せて楽しませたいと
母なりに考えたことだったのだろうか…おかしくもあり、かなしくもあり
初めて観た映画は、母の背中のぬくもりと共に忘れることはない」
…という内容といい、最後の一文といい、ちょっと涙腺が弛みそうになるエピソードでした

最後は、コロナの影響で今年7月、54年の歴史に幕を降ろすことが決まった
ミニシアターブームの先駆者「岩波ホール」の岩波律子支配人の言葉…
「(閉館の発表に)全国から反響があって、本当に申し訳ないと思うばかりで…
ウチのお客様は高齢の方が多く(コロナ感染を)気にして控えてらしたんだと思うんです

若い方に来て頂きたいと思って、色々試みたんですが、あまり反応がなくて…
今は、学校で映画の鑑賞会もしていないのかも…
娯楽映画はご覧になるのかも知れないけれど
ウチは心理的にハードルが高いのかなと思いました

ただ、1日の観客数が、かつての(上映)1回くらい…50人にも満たない人数になって
夜の最終上映で、お客様が1人もいらっしゃらず、開始10分で映写機を止めたりと
去年あたりは、もうこれでいいのかな、という気持ちはありました

映画は文化。儲けようと思っても儲からないし
ナンでこの映画がこんなにヒットしたのかというのも、永遠の謎なんです」…を知って
「映画『稲村ジェーン』30年ぶり脚光の、夏
桑田佳祐さん監督 DVD化・ラジオドラマも」という記事を思い出しました

「日本映画が興行的に低迷した1980年代、一種のカンフル剤として
文学や音楽、演芸などの他ジャンルの人気者が次々に映画監督として召喚された
村上龍、和田誠、伊丹十三、北野武…作家の高橋三千綱さんも『真夜中のボクサー』を監督していた

中でも、桑田さんの映画は飛び切りの話題性だった
湘南の海辺を舞台にしたサーファーたちの物語は、若者を夢中にさせ、大ヒットした
しかし、プロの世界は甘くない。映画のアマが撮ったこの作品は、悪評プンプンだった
私も、波乗り場面のないサーフィン映画に、客席でひっくり返った口だ」と記されているんだけど

当時、同じようなオファーを受けられたという甲斐さんは
「映画って、世界最大の娯楽じゃないですか
そんなコワイものに手出しちゃダメ(笑)
だから、映画を撮る気は全くないですね」とお答えになっていて

パワーステーションで、ミック・ジャガーに会われた時に、声をおかけにならなかったり
ジュリーから曲の依頼があった時に「少し悩んで結局断った」のと同様に、お好きだからこそ
映画の世界にも、楽しみ以上に踏み込むことを避けられたのかなあと…?

ともあれ…「30年ぶりに観たが、主人公が何を考えて行動しているのかが、よく判らなかった
だからと言って『つまらない』という結論にならないのが、映画というものの面白さだ
作り手が楽しんでいる空気が、画面を弾ませている」…と続いてますが

あの「時代の徒花」って感じの作品に、今スポットライトを当てるのはナゼ?(失礼!)
やはり、昨今の「昭和歌謡」ブームというか
レコードプレーヤーを持っていないのにも関わらず
アナログ盤を購入して、そのジャケットを部屋に飾るという
今の若者たちをターゲットにしているんでしょうか?(苦笑)
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気になる言葉 AGAIN3

2022-02-17 22:19:00 | 日記
引き続き、新聞の読者投稿欄の「映画を巡る物語」から
まずは、甲斐さんも影響を受けられたという「イージー・ライダー」を
甲斐さんと同じ(笑)「『福岡』で友人の女性と見た。挿入されたステッペン・ウルフの曲
『ワイルドでいこう!』と共に衝撃を受けた」方の投稿

「ピーター・フォンダとデニス・ホッパーが
バイクでアメリカを自由に旅する姿が羨ましかった
髪を伸ばしてロックバンドを結成していた私は
就職を控え、大人の世界に入ることへの憂鬱さを抱えていただけに
一層、自由な旅への憧れは強まった」…って
当時、どこかで甲斐さんと接点がおありだった方かも…?(笑)

「映画はハッピーエンドを迎えるものだと思っていた
ところが、物語の最後、主人公2人は突然ショットガンで撃たれて命を落とす
隣の彼女は、元々ピーター・フォンダのファンだったが
本当に彼が亡くなったと混同したかのように、劇場が明るくなっても泣き続けた

個人が自由な生き方を謳歌する一方で、保守的で不寛容な気質も残るアメリカ
私は、その二面性と落差を理解できなかった
私たちは、しばらく座席から立つことができなかった」と記されていて
大分の映画館の支配人の言葉…「映画は監督のものではない
見た人の人生の中で、映画がどういうものであるかが大事
客が『口をつぐんで帰るような』映画も要る」…を思い出しました

これは、甲斐さんが「ライブを観たあと、客がひと駅ぶん、余計に歩いてしまうくらい」
魂を揺さぶるようなパフォーマンスを見せたいと話されていたことに通じるんじゃないかと…?
かつて、奥さんの友人Sさんが「サンスト」に…
甲斐バンドライブの帰り道に「友達といつもよりも言葉少なく」感想を話し合ったと投稿し
甲斐さんが、この「」の部分を繰り返しお読みになったというのも
「してやったり!」と嬉しく思われたからかなあと…?(笑)

ちなみに、この支配人の方は…「映画が終わって
作り手が『こんな意図で作った』と、そんなこと喋ってどうすんだ
監督を褒めそやすより、まずは多くの客と映画を『出会わせる』こと
そこに映画館の務めがある」…とも、おっしゃっていて

やはり、これも「『音楽は音楽で語られなければならない』と言ったのは大瀧詠一なんだけどさ
それ以上でもそれ以下でもあっちゃいけないんだよね
例えば、自分の音楽を語る時に、自分の恋愛問題を話したりしたってしょうがないじゃない
かと言って、自分の曲の説明を何ページに渡ってやったとしてもダメだけどね」
…という甲斐さんの言葉と同様に「いったん世に出したら、その作品は受け手側のもの」と
表現を提供する側のある種の覚悟を示す言葉でしょうね?

続いては…「素敵な映画音楽に魅了され、そこから映画を観ることが結構あった」という方の投稿
「『鉄道員』『ひまわり』『道』など切なくて胸が締めつけられる
特に『太陽がいっぱい』のニーノ・ロータの曲には思いが強い」
…って、確かに前述の作品たちは、タイトルを目にしただけで
その作品で流れていたメロディが、自然に浮かんで来ます♪

更に「原作小説は、主人公の名前から『リプリー』だが
映画の邦題は『太陽がいっぱい』になった。すごいセンスである」との一文にハゲ同(笑)
全てが露見したことを知らないアラン・ドロンが、あのラストシーンの直前に
デッキチェアで幸せそうにまどろみながら呟くセリフをそのままタイトルにしたというのは
甲斐さんがおっしゃっていたように「当時の日本のディレクター達がスゴかった」ってことですよね?

ともあれ…「私が初めてこの曲を聞いたのは、レコードでも映画でもなく『炭都』夕張の全山放送だ
朝からヤマに入った一番方が、午後3時、地下数百メートルの坑道から地上に出て来ると
鉱業所からこの曲が流れる。それが少年だった私の日常風景だった
危険で真っ暗な所から地上に上がって来た男たちに、もの悲しいあの旋律は相応しかったのか
周辺は邦画映画館ばかりだったから、担当者も映画の方は見ないまま
タイトルに惹かれて選曲したのかも知れぬと、苦笑しつつも思う

私の父もヤマの男だった。まぶしい太陽に生の喜びを感じたであろう父たちへ
精一杯の『ご苦労さん』が込められていたと考えると、有り難く、そして懐かしく思うのだ
…と結ばれてますが、あの海のイメージが強い映画の曲をお聴きになって
ヤマを思い浮かべられる方がいらっしゃるということが新鮮というか
曲を聞いただけで「現実の時間を遡って、一気にその時に戻れたりする
時間を超越したタイムマシン」という甲斐さん説を思い出しました

映画評論家の秦早穂子さんは、60年代にパリで映画の買い付けをなさっていたそうで
ある夜の試写会で、トリュフォーやゴダールといった異能の監督たちと同席され
「そこに漂っていた『満ち足りた感覚』が、今も体の芯に確とある」らしく
「記憶に残るというのは、そこに何かがあるからで
決してノスタルジーではない」とおっしゃってますが

「かぐや姫の『神田川』が街に流れた頃、京都で大学生活を送った」方は…
「大半の学生が長髪だったが、サッカー部の私は短髪
住んでいた学生寮は運動部の者が多く、いずれも髪が短かった
我が寮を指定して、東映の京都撮影所から、まとまった数のエキストラの募集が来ていた
当時はヤクザ映画の全盛期。画面に少し映る程度でも、長髪だと様にならなかったのだろう

朝、寮の前までタクシーが迎えに来て、分乗して撮影所へ向かう
大部屋の隅で待機し、役割や動きの説明を受けた
撮影所やロケ現場で、鶴田浩二や松方弘樹、山城新伍らを目の当たりに出来て
日当は、平均的なバイト料の2倍はあった

ある日、滋賀のロケで、私に警官役が回って来た
直立不動の私の前を、憧れのスター・高倉健が歩いて行った
確か『山口組三代目』の撮影だったと思う
友に『映っていたぞ』と言われたが、何故か気恥ずかしく、約半世紀過ぎた今も未見である」
…と「記憶に残る」はずの作品を避けていらっしゃいます(苦笑)

まあ、我が家にも、甲斐さんのライブDVDに映り込んだ自分の姿から
目を背ける者が約1名おりますし(笑)お気持ちは判らなくもありませんけど
それこそ映画館ではなく、ご自宅でお一人の時にでも
こっそりDVDをご覧になっては如何でしょうか?(笑)

余談ですが、この「映画を巡る物語」とは別にある大学生の方が…
「1970年後半以降、映画館の入場者数はあまり増えていないらしい
確かに、DVDやBlu-rayを借りて家で観る方が、お金がかからない
好きな時に停止できて、トイレは誰にも迷惑をかけずに行くことが出来る

しかし、私は映画館で観る方が好きだ
少し高いお金を払ってでも、圧倒的な音響や大きなスクリーンで味わえる臨場感や雰囲気で
その映画に入り込むことが出来る
同じ空間で、一緒に観る人たちとの不思議な『共有感』は
その場でしか感じることが出来ないものだろう」…と記されているんだけど

確かに、映画館へ行くと、この方がおっしゃるような
「映画館ならではの良さ」を実感するものの
ついつい、自宅などでDVDや配信を観てしまうのは
ぽっかりと時間が空いた時、上映開始時刻を気にせず、映画館へ向かう手間もなしに
すぐに観ることが出来るという手軽さのせいではないかと…?(苦笑)

いつか、コロナが収まって、奥さんがハマリまくった(笑)「胸アツ応援上映」でも
作品が観られるようになったら、もっと気軽に映画館へ行きたいと思っています♪
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気になる言葉 AGAIN2

2022-02-16 21:50:00 | 日記
以前に、音楽プロデューサーの酒井政利さんが、文化功労者に選ばれた際に
「映画が僕の恋人。音楽はそんなに好きじゃなかった。だから、俯瞰して見られて良かった
ほら、恋人の欠点は見えないものじゃない?
…と話されたことが

甲斐さんの「ホントは映画関係の仕事がしたかったけど
どうすればいいのか判らなかったし、音楽の道の方が身近にあった
それに、一番好きなことは仕事にしない方がいいって言うしね」
…という言葉に重なったとご紹介しましたが

編集者で写真家の都築響一さんは…
「好きなことをして、お金になればいいと思いがちだけど
好きなことはお金にしたくない人もいるんですよ

好きなことを飯の種に出来れば幸運だろうが、金稼ぎは不安定なもので
やがてその『好き』も濁って来るかも知れない
でも、仕事をただの手段とするのもやるせない
いずれにせよ、好きなことだけして大金持ちはあり得ない」…とおっしゃっていて

「チャートに入るロック」を目指されたミュージシャンの方が
一方で「売れ線を狙ってコケたら、目も当てられないから」と
世間に迎合するような作品だけは書くまいと、自らを律していらしたことを思い出しました

ともあれ…その酒井さんがお亡くなりになった時の新聞記事にあった
「『歌の中で映画を作りたい』と、曲の映像的なイメージを作詞・作曲家に提示し
イメージに合わせて、インパクトのあるタイトルを付けることに長けていた」との一文と

甲斐さんが「ストーリーが見える歌を書こう」とお決めになり
実際に「頭の中でカメラが切り替わるような感じ」で浮かんだ情景を歌詞になさっていることが
再びオーバーラップしたのは言うまでもアリマセン(笑)

…ということで、今回は新聞の読者投稿欄に掲載されていた「映画を巡る物語」から
気になる言葉をピックアップしたいと思います♪

まずは、大学の英語のヒアリング授業で、字幕なしの「カサブランカ」をご覧になり
「アメリカ、イギリスの他、ドイツ語やフランス語風の発音など
癖のある表現が多く、聞き取りは大変だったが
ヒロインを演じたイングリッド・バーグマンにすっかり魅了された」方の言葉

「映画のようなドラマティックな恋愛は経験せず、英語を使う機会もなかったが
もし今もバーグマンがいたら、無我夢中で英語を勉強するだろう」…(笑)

これは、かつて竹内まりやさんが「ビートルズの曲の歌詞の意味を原語で知りたい」とか
藤田朋子さんが「いつかポール・マッカートニーに会う時のために…(笑)」と
英語を猛勉強なさったのと同じ心理というか

好きな人のことをもっと知りたい、深く理解したいという願いが原動力になるのは
韓流スターに憧れる方が韓国語を学習なさったり
奥さんが博多弁に耳をそばだてたりするのと変わらないんじゃないかと…?(笑)

続いては…「1960年頃、テレビもない田舎で、巡回映画は待ち遠しい娯楽であった
夏は、神社の鳥居にスクリーンが張られる
風に揺れる画面を食い入るように見つめた
寒くなると、公民館が会場になる。すし詰めの熱気が懐かしい」とおっしゃる方の投稿

「『点と線』が記憶に焼き付いている。作品が製作された10年後の68年に
福岡市箱崎の大学に就職し、後に香椎に住んだ
箱崎や香椎は『点と線』で、東京駅13番ホームと並ぶ、アリバイ崩しの重要地点だ
原作の松本清張の文庫本を手に、加藤嘉さんが演じた刑事になったつもりで、舞台を歩いた

国鉄香椎駅、西鉄香椎駅や香椎潟の佇まいは、映画で見た印象が残っていた
駅前の果物屋から、おやじ役の花沢徳衛さんが顔を出しそうだった
香椎を離れ45年。先日、久々に訪れると、JR香椎駅は近代的な駅ビルとなっており
果物屋のあった場所も判然としなかった

映画では、果物屋を通り抜けた女が『ずいぶん寂しいところね』と連れの男に言う
昭和30年代の町の空気は、巡回映画の日々のように彼方の記憶となった」と記されていて
最初は、映画の面影が残る楽しい「聖地巡り」の思い出に微笑ましさを感じたんだけど
「おもろうて、やがて哀しき…」な結びに、ちょっとグッと来ちゃいました(苦笑)

次も「1970年代に京都で大学生活を送った」方の、古き善き時代の映画館の話です(笑)
「学生下宿の多い街の一角、スーパーマーケットの2階にあった名画座
完全自由席で入れ替えなし、3本立てが学生料金で400円程度だったと記憶している

小津安二郎、黒澤明、鈴木清順、深作欣二といった巨匠作品から
東映ヤクザ映画、日活ロマンポルノまで、幅広いジャンルの映画が掛かっていた
1階のスーパーで弁当を買って館内に入れば
何時間も映画に浸れる夢のような場所だった

オールナイト上映時には、通路まで観客が溢れた
消防法上の収容人員を軽くオーバーしていたはずだ
今では考えられないくらい、おおらかだった
クライマックスで主人公の決め台詞が出ると、満員の観客が一体となって拍手喝采した」
…といった、ボクと同世代の方の思い出の映画館は
当時の日本のスタンダード(笑)と言えるもので

前述の説明の他にも…一応?「場内禁煙」ではあったものの、あちらこちらで紫煙が上がったり
上映開始時間に遅れて入場した観客が、次の上映回まで居続けて
自分の入場時の場面まで観たところで席を立ったり
立ち見の観客が、その空いた席に駆け寄ったり(笑)
…って、おおらかというより、もはや無法地帯ですね(笑)

ともあれ…「アフターコロナの時代、人いきれの中で映画と向き合った
あのような体験はもう、叶わないのかも知れない」と投稿者の方
まあ、コロナがなくても、川越スカラ座のような歴史ある「町の映画館」は減少傾向にあるし
シネコンは完全入れ替え制だし、かつてのおおらかさは望むべくもないでしょうが
あの、いかにも「大衆の娯楽」という感じの映画館の空気を知っているだけでも
幸せなことなのかも知れないなあと…(笑)
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気になる言葉 AGAIN1

2022-02-15 21:25:00 | 日記
久しぶりの「気になる」シリーズ、今回は甲斐さんが、おみくじで「大吉」をお引きになり
「大吉って、ナンかちょっと尻込みしますよね
俺、大吉、久しぶりに引いたんじゃないかなあ?ナンか…
ナンか、吉とかさ、小吉くらいがナンか、ちょうどいいじゃん」と話された時から
ちょっと復活させてみようかと思っておりました(笑)

というのも、新聞の読者投稿欄に…「私は大吉を手にすると不安な気持ちになる
幼い頃、凶を引いて落ち込む私に、母がこう励ましてくれたからだ
『凶はドン底っていうことで、これ以上下がることはない。運が上がるのみ!』

しかし、何故かここ数年、頻繁に大吉を引いてしまう
素直に喜べばいいものの、母の励ましの言葉が妙に気になる
大吉は一番上だから、あとは下がるだけ?
大吉を引くために運を使うなんて…我ながらネガティブ過ぎる」…という投稿があり

「大吉を引くために運を使うなんて…」の一文に
クジ運の悪さを誇る(笑)我が家の住人の顔が浮かんでクスクス(笑)
ただ、奥さんは、他の投稿者の方々がおっしゃってるように
「占いの類いは信じない」とか「振り回されるのはイヤだ!」という気持ちもある一方で

「人間の一生ぶんの運は決まっている」説を、どこかで信じているんだけど
その「一生ぶんの運」が、他の方より少なめだと思えるらしく(笑)
たかが「大吉」ごとき(笑)に浪費したくないって感じみたいです(笑)

…とはいえ、何か願い事がある時には、困った時の神頼み(笑)
「験担ぎ」や「願掛け」をしたくなるのも人の性で
こちらのアンケートでは…「ここぞという時は、勝負下着を身に着ける」
「運気が落ちて来たと感じたら、通勤電車の乗車位置を変える」
「自分が観戦すると負けるので阪神の試合は観ない」(笑)
…といった、ある種の成功体験に基づくものや

「受験日にカツ丼を食べる」とか「子供の受験前は、スーパーで買い物をする際に
『¥651(むごい)』や『¥674(むなしい)』は買わず
『¥840(ヤッホー)』などを選んだ」と、気持ちを上げるおまじない系
そして「断ち物」…好きな食べ物や趣味を我慢することで悲願成就を祈る
…といったご経験をお持ちの方が多数いらしたんですが

ご主人の入院をきっかけに、大好物のイカをお断ちになった女性は
ご主人の退院後も「再発したり、別の病気になったりしたら…」と
当のご主人やご家族のために料理はなさっても、ご自身はイカ断ちを続けられ
ご主人が亡くなられ、四十九日の法要を済まされたあと、27年ぶりにイカを召し上がったそうです

「気持ちの問題とは判っていても、ずっと元気でいて貰うために
何かせずにはいられなかったんです」…って、この方のご主人が羨まし~い!(笑)
まあ、我が家の場合は、コロナ禍で甲斐さんのライブ自体が断たれない限りはムリかなあ?(苦笑)

ちなみに…オール巨人師匠は、M-1グランプリの審査員をなさっていた頃
「若手の人生がかかった大会ですから、スッキリとした頭で臨みたい」と
審査の1週間前からお酒を断っていらしたそうだけど

「それでも頭が痛くなるんですよ。同業者を審査するのはとても疲れます
苦労が判りますからね、途中で噛んで失敗されると、こちらがしんどくなる
相方がガックリしているのも判るから、あとでケンカするんちゃうかと思ったり
審査員の大変さはやらないと判りません」とおっしゃってました

続いては、コロナ禍で断たざるを得ない物事に関する言葉の数々をご紹介しましょう
「飲食店は『今日行かなくてもいい場所』であるが
『不要』どころか、なくてはならない場所でもある
客が辛い時は、自分たちも辛い時…だから利益度外視で頑張る
ただ、それを客に気づかれないように平常心で…
不透明な未来への不安や心配、憤りなどの思いを分け合った、その上での平常心なんです」
…と明かされた東京・渋谷の焼鳥店のご主人や

これまでの当たり前が次々に崩れて行って、元に戻るかどうかも判らない中
仙台市を拠点に活動なさっている仲間の皆さんと
「人と会うって、それだけで十分刺激的だったんだなあ」と電話で話されたという美術家の方

「コロナ禍で、百貨店の化粧品売場にビニールがかけられているのを見た時
人の幸不幸は、存外そんな細かな物事で縁取られているんだなあって…
でも、そんな些細なことが心を刺す一方で
自分は何がしたいか、誰に会いたいかを痛感した」という漫画家の方の言葉などに
思わず「うん!そう!そう!」と頷いてしまったり

コロナに罹患され、自宅療養を強いられた千葉県の女性の体験談…
「発症7日目に口にしたジャガイモのスープが『なにこれ!?』と驚くほどしょっぱかった
プリンを試すと、今度は単調で強烈に甘い
すり下ろしリンゴは薬のように苦かった

味覚も嗅覚もなくなると思い込んでいたが、味覚は何倍にも感じられた
高熱と下痢で食欲がない。更に食べる気力まで奪われ、ゼリー飲料やヨーグルトでしのいだ
少し良くなってからは、酸味が頼りだった
ポン酢に救われ、みかんアイスに慰められたが、結局2週間で5キロも痩せた」…に震えたり(汗)

東京都内で何回となく、ごみ清掃車に乗り込み、収集の実務を調査され
「ごみ収集とまちづくり」を出版なさった、大東文化大学の藤井誠一郎准教授の言葉…
「カレンダーを見て量を予想し、使うべき車両を決め、道路工事の予定を調べ
降るか照るか空模様まで加味して万全を期す

ごみ収集に携わる人たちは日々、可燃でも不燃でも
そんな複雑で、驚くほど大変な頭脳労働をしている
何か見落としがあると収集が遅れ、多くの家庭や職場に迷惑がかかる

清掃員は、ごみ袋を車に無造作に投げ込んでいるように見えて、実は違う
量と中身に応じて、すき間なく積み込まないと満杯になってしまう
ポイポイ投げてギッシリ積めるには、10年の熟練を必要とする

一昨年、コロナ感染が急拡大した頃は、各地でごみの量が急増したところへ
清掃員に集団感染が起き、人手不足から収集が一時停止し
ごみが夕方まで回収されない日が続いたため
大量のごみが回収されずに、翌日へ持ち越された
『ごみを出さないで』と住民に呼びかけた地区もある

見慣れた光景ゆえ、意識する機会は少ないものの
ごみの収集が滞れば、私たちの暮らしは、たちまち行き詰まり、立ち行かなくなる
滞って知る公共サービスの有り難さである」…に頭が下がったり

一方で、職域接種を終えた従業員に「接種済」のシールを名札に付けるよう
義務ではないものの強く推奨する居酒屋や家電量販店
「子供(の発達のため)には表情を見せることが大事」だとして
職員のマスク着用が徹底されておらず、クラスターが発生してしまった保育園もあり
何ともやりきれない気分になったり…と、今や「日常」になってしまっている
コロナ禍での生活を改めて実感致しました(汗)
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