甲斐さんのラジオ番組で「スナックキズツキ」が話題になった時
「『文春』にマンガ描いてる…」と原作者である益田ミリさんのお名前を口にされてましたが
その益田さんが、我が家の購読紙のコラムに…
「プロ野球には詳しくない。セ・リーグとパ・リーグがあるのは知っている
球団名を全部言えるかは微妙なところである」…にも関わらず
ご友人たちとヤクルトのファンクラブに入会なさって
「小さい傘」をお買い求めになり「声を上げて選手を応援するのは楽しかった
いや、何より楽しかったのは、選手を応援している人々を見ることだったのかも知れない
ファン体質じゃない自分に一抹の寂しさを感じている
推しもいない。収集もしない。コレクションもない
私は自分にしか興味が持てない人間なのだろうか?そう思うと、うら寂しく
そのせいか、何かにのめり込んでいる人に輝きを感じる
ヤクルトのファンクラブに入り、私はヤクルトファンを眩しく見ていたのである
父は大の阪神ファンだった。私が高校生の時、阪神が優勝した
優勝が決まった夜、父は『ありがとう』と言って涙を流した
そして、母と私と妹に、1万円札を配り始めた
『え?なに?どの立場からのお礼なん?謎だ』と私は思った
とはいえ、自分と関係ないことに、泣くほど喜べる父が羨ましかった
優勝の翌日、阪神のハッピを着て登校して来た男子がいた
野球のことは今でもよく判らないが、応援する人々には、やっぱり憧れている」…と記されていて
どちらかというと…って、もとい、間違いなく1万円札を配る側の人間である奥さん(笑)は
「益田さんって、ウチのオカンと似たタイプやわ」と一言(苦笑)
イヤ、奥さんの母上は、映画鑑賞やスポーツ観戦、外食や旅行など
結構、アクティブにフットワーク軽く動く人なんだけど
ナンというか、その原動力が「どうしても見たい!行きたい!」といった
抑え切れない感情とか沸き上がる熱情ではなく
年を取り体が弱って自由に動けなくなってから
「あれもこれもやっておけば良かったと後悔するのがイヤだから」
…という悲観的展望による強迫観念に基づいたものらしく(苦笑)
見たいものや行きたい所の選択は、世間の評判や話題性に頼ることが多く
いわゆるヒット作品や注目の試合、観光名所や名物料理に安心するというか
本当に楽しんでいるのかどうかはビミョーな感じなんじゃないかと…?(苦笑)
ただ、益田さんのように「何かにのめり込んでいる人」を応援したいとは思わなかったらしく
奥さんが、実家で暮らしていた頃はもちろん、一人暮らしを始めてからも
「ナンで、私が甲斐バンドのライブに行くのか理解できなかったから
目の不自由な人に色の説明をしているみたいだった」んだとか…(苦笑)
それで思い出したのが、絵本作家の五味太郎さんの言葉…
「比較的感動が少ない人生を歩んでいる人に、なぜか『感動好き』が多い」…(苦笑)
「大人は感動が好きで、何かといえば子供に感動を与えたがる
しかも、その感動は類型的で代わり映えがしない
感動とは本来、不意を襲うもの、そしてしばらくは訳の判らないもの
ましてや、前もって設定など出来ないもの
自分を戸惑わせるのではなく安心させる
そんな安っぽい感動の輪を広げようとするのは、何とも気持ち悪い」…とバッサリ(苦笑)
ちなみに…あるお母様が、小さなお子さんに「サンタさん」について話される際に
「ナンとなく嘘をついてる気がするのですが…」と相談なさったところ
五味さんは…「例えば『シンデレラ』の結婚して幸せになりました…みたいな終わり方
なる訳ないと思っても『嘘をついてる』とは言わないよね?
昔話ってヤツは、ゲームやテレビもない頃に
みんなで頭に浮かんだ話を口からでまかせで話していたものだと思う
盛り上がるように、おとぎ話を作るのは、人間の芸として、とても素敵なところ
でも、残念なのは、それを悪用する大人がいること…しつけや道徳や教育にね
例えば『ウサギとカメ』を聞かされると、途中でサボらず
コツコツやんなきゃいけないという意識が刷り込まれて行くんだよな
あと、親子の距離感…『子供に嘘をついてる気がする』と言うけど
ナンで、自分の子にそんなに他人行儀なの?
自分の子には『上手いことを言ってやろう』とか思ってない?
子供たちに、メルヘンでロマンチックな空想が出来る人になって欲しいという
的外れなビジョンも社会の中にある
『サンタがいるという夢を壊しちゃいけない』と親が言うのも、そういう方向の期待だよね
子供の理想形を勝手に押し付けるのは、ガキにとっては余計なお世話だと思うな
ガキは判ってんだけど、あえて『サンタクロースっているの?』と訊いて来る
『いるよ』って言っても『そんなもん、いねーよ』って言ってもいい
ガキは、逆に『うーん、ホントにそうかな?』と考えるよね
『判んないよね』って、共有しちゃってもいい
混乱した方がいい。そうやって、自分を作るのに時間をかけてるんだから…
『サンタ』は結局、大人の側の問題だと思うな
子供は子供なりの精神活動をずーっとやっている
子供の方が、かなり冷静に大人のことを見ているよ」…とお答えになっているんですが
4歳くらいで「サンタはいない」と気づいていた(笑)奥さんは
「親の期待を裏切らないように、精一杯ビックリして、喜ぶフリをしてた(笑)」らしい(笑)
それはともかく、数学者の森毅さんは…「学校というものの中では
教師に学ぶより、友人に学ぶことの方が多いはずで
その友人が、同学年に限定されるなんてつまらない
友達といえば同級生、会社なら同期生…つまり同い年
そして、ほとんどが同性。あとはみな上下関係
なんと窮屈で退屈な社会に生きているのだろう
うんと年の違う、出来れば異性と友人になれたら、世界は一挙に広がるのに、もったいない
これ、結構、由々しき問題である」…と話されていて
甲斐さんが、10代20代の頃は30代以上の「大人」の皆さんに「議論をふっかけた(笑)」り
ご自分が30代になられたら「若いヤツに遊んで貰おうと思った」り…と
異世代間交流に積極的でいらしたのは「音楽業界の人間は生理が同じなんで
作家とか役者とか、他の業界の友達の方が多い」のと同様に
未知の世界に興味津々というか(笑)好奇心旺盛というか(笑)
それが「面白い」とお感じになる方だからでしょうね?
生物学者の永田和宏さんも…
「大学は、既知のことを教えるのではなく、未知のことに気づかせる場です
学生には『安全な方より、まず、面白そうな方を選べ』と言っています
『それ、良いデータだね』と淡々とではなく
『ナンでそんなオモロいこと、考えられるんや!』という、ワクワクした気分が
新たな道を開く原動力になるんですから」とおっしゃってますし…(笑)
ともあれ、前述の五味さんは…「『わかった』人が『わからない』人に教えるのが教育とされるが
人生『わかった』という境地に立てる人などいない
だから『わかった』気でいる人の話には要注意
『人生、そこら辺りが問題なんだよね』と共に考えてくれる人が近くにいると1歩前に進める
一番必要なのは『わかってる』人ではなくて、現役でやっている人
つまり、今でも『わかろうとしている』人です」…と話されていて
これは、まさしく「奥さんにとっての甲斐さん」です(笑)
甲斐バンドの曲や「サンスト」での甲斐さんのトークから
音楽に限らず、あらゆるエンターテイメントの楽しみ方を学び
奥さんの人生に間違いなく影響を与えていると思われる「言葉」の数々を胸に
「今でもわかろうとしている人」のあとを追っかけ続けているんですから…(笑)