昨日、死去が報じられた瀬戸内寂聴さんを偲びながら、僕の読書ノートから、いくつか寂聴さんの文章を取り上げてみたいと思います。
まず、お酒について、こんなことを語っておられます。
「私にとって酒は楽しい時、愉快に呑むものであり、料理の味をいっそううまくするためのもので、憂さ晴らしにはならない。自分に憂鬱があるとすれば、酒なんかではごまかせないと思う。正気でその原因に対決すべき。…と思っても、なかなかねぇ」
最後は少し笑ってしまいますが、僕もお酒については、常にこの寂聴さんの言葉を実践するように心がけています。…と思っても、なかなかですけど(笑)。
さて、寂聴さんからは随筆集などを通して多くのことを学びましたが、僕が特に愛読したのが、法話や講演を載せた「老いを照らす」という本です。
本の中には「これは頭に入れておかなければ!」という部分が沢山あって、そのつどメモをしてパソコンに保存しておいたのですが、スマホの時代になったので、今はメモ帳アプリにその文章をコピーして入れています。そして時々、夜に布団の中でスマホを開けてそれらを眺めています。そんな文章をいくつかここでご紹介したいのです。
まず最初は思わず笑ってしまう話ですが…
寂聴さんが講演を終えて、お客さんから質問を受ける時間になった。その時に、しとやかな婦人が立ち上がって小さな声で何かをおっしゃった。寂聴さんにはそれがよく聞こえなかったのですが、「これだけ大勢の人たちの場で話されるのだから、てっきりいいことがあったのだろう」と思い、「まあそれはおめでとうございます」と言った。すると横から秘書が「ご主人が先月亡くなったとおっしゃったんですよ」と伝えてくれた…という話でした。「ごめんなさい」と寂聴さんは書かれていました。これは余談でしたが、寂聴さんのユーモラスな一面が見えました。
ではその「老いを照らす」を読み、特に心に残ったので書き写した文章ですが…
★死なない秘訣は、死んでもいいと思いなさい、ということ。その代わり今日したいことだけをしなさい。いつ死んでも悔いのないよう充実した日を送っていると死は遠ざかります。何もしないで死にたくないとだけ思い詰めていると死ぬんです。
★お釈迦様も過去を追うな、未来を願うな、過去は過ぎ去ったものであり未来はまだ至っていない。今なすべきことを努力しよう。今という時は二度と訪れません。過ぎ去った過去よりどうなるかわからない未来よりはるか切実で大切なのはこの今です。今を全力で生きることが大事だということです。
★老いや死もなかなか自分の思ったようにはいかない。生きたいように生き、死にたいように死ぬのが理想ですが、そうはいかないのです。それはなぜかと言うとそもそも命というものが自分のものではないからです。私たちはこの世に自分の意思で生まれたわけでもないのになぜだか自分の生というものを自分のものと思いなしています。これが間違いの始まりです。
★新しいことに挑戦すること。おしゃれや恋を忘れないこと。このような気構えで生きていれば、老いることは決して怖れることではありません。年を取るということは、何しろ人より経験があります。過ぎ去った日々に味わった経験を反芻して、豊かな生を生きているということになります。老いることに誇りを持ちましょう。そうすればきっと美しく老いて死ぬことができますよ。
それと、これは別の本から写したものですが、
★自分の歳を意識した瞬間に、その人は老人になるし、老いも早まるのです。自分らしく生きることが何よりも大事で、老人らしく生きる必要はないのです。
…という文章にも影響を受けているので、僕はふだんはあまり自分の歳を意識しません。たしかに僕は高齢者ですけど、自分を「老人」だと思ったことは一度もありません。それも、寂聴さんのこの文章が常に頭にあるからだと思います。
最後に二つ。
★他人の視線を意識すること。そうすれば、背中に一本筋が通って、姿勢もよくなります。
この文章も頭から離れません。だから買い物やウオーキングのように、リュックを背負ってあちこちをぶらつく時にも、軽快な服装で出て、歩く姿勢も「正しい歩き方」を心掛けています。
寂聴さんは亡くなっても、これからも僕を励まし続けてくれることに変わりはありません。
★死んだら何もないと思ったら絶望します。魂は残ると思ってください。
寂聴さんは、そうも言われました。
だから寂聴さんの魂には、いつでも触れることができますものね。
それにしても、99歳。
うちの母でも生きていたら93歳で、寂聴さんより6歳年下ですから、本当に大往生ですね。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。