肱川、道の駅「清流の郷」で展示されています。
近くにおいでの際は、ぜひご覧ください。
以前、ここのメンバーさんから頂いたおし花、我が家にも飾っています。
私には想像もつきませんが、相当な労力、時間に加えて、素晴しい美的センスを持ち合わせていないと、出来ないだろうと、感心して見せていただきました。ありがとうございます。
久しぶりに菊谷隆太先生の仏語をお送りします。
仏教で『三田』という言葉があります。
慶応キャンパスのある「三田(みた)」ではなく「三田(さんでん)」と読みます。
人にお金や物を施す際に、施すべき相手を間違えてはいけないよ、
とお釈迦様は、布施をする相手として『三田』を説かれました。
まず「田」とあることですが、布施の相手は『福田(ふくでん)』と言われ、
田んぼに例えられます。
田んぼにタネをまく人を見て、"あんなところにタネを捨てて、おかしな人だな"
と思う人はありません。
秋になって取れたお米は、全部その人のものになりますから。
同じように、施しをすると一時は自分の元から離れたように思うかもしれませんが、
布施の功徳は幸せとなって、施した本人に現れるのです。
その相手に三通りあるから「三田」です。
○「敬田(きょうでん)」
○「恩田(おんでん)」
○「悲田(ひでん)」
「敬田」とは、敬うべき徳を備えた方のことです。
仏の悟りを開かれた方であり、その仏の教えを正しく説かれる僧は
『敬田』にあたります。
『恩田』は、ご恩を受けた方です。
先述の仏や僧もそうですし、両親や学校の先生もあたります。
『悲田』は、病気やけが、災害や貧困で苦しむ、
本当にかわいそうな境遇の人です。
物に恵まれていない人の中でも仕事するのが嫌で、なまけて、
楽して人に依存して生活しようとする人に施しても
よけい怠けさせるだけですから、布施にはなりません。
このように教えられているように布施は大変功徳があるからといって、
誰にでもすればいいのではありません。
キャバクラ嬢にブランドバッグを貢ぐのを布施とはいいません。
それはただの「下心」です。
親が道楽息子を溺愛するあまり、スポーツカー買ったり、大金を与えるのも
布施とは言われません。
ますます子供がだめになるだけでしょう。
ただし、仏法を伝える布施、これを『法施』といいますが
この布施は相手は選びません。