縁あって、寺総代を務めています。
地域で寺総代の役は、天国に近い人が務めるものと冗談にしていましたが、
その役が回ってきてしまいました。
しかも、20年近く前です。
その後、交代して頂く人もなく、住職が同級生ということで今にもって務めています。
そんな関係で、年に数回は高僧のお話を聞く機会もあり、自然に仏教、祖先を敬うことに
関心を持つことになりました。
終活にも関心を持ってきました。
年でしょうか?
でしょうね。
横田南嶺(鎌倉円覚寺管長)の仏心、主人公のお話です・・・・。
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横田南嶺(鎌倉円覚寺管長)
先年老師(田中芳州老師)の七回忌の法要が相国寺の僧堂で行われて参列させていただいた。その折に、老師の語録をいただいた。拝見してみると、その中に「主人公」について実に分かりやすく説かれていて感銘を受けた。
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「この身に地位、名誉、財産、学歴、男女などに汚れない『主人公』がいる。あなたにも、誰の中にも、その人の「主人公」がまぎれもなく住んでいる。彼が私が善いことをした時には、私の心の底から喜びを与えてくれる。彼が私が悪いことをした時には、私の心に動揺と反省を与えてくれる。
誰も観ていないと思っていても、いつもどこでも私の心と行動を観ている。周りの人々の言葉に惑わされず、心静かで確かな目を持って見つめている。彼は選り好みをせず全てを平等に扱い、自分を忘れて人々の幸福を心より願う。他人の喜びを妬まず我が喜びとして喜び、他人の苦しみ悲しみを我が苦として思い、常に穏やかな表情にて相手を思いやり、その言葉は心から愛情を込めて対話す。
彼は自分を偽らず、悲しい時には素直に涙し、嬉しい時には心の底から喜び、怒るべき時には晴天の雷のごとく、雷鳴の後は雲一つなく和らいだ光を放つ。
そういう『主人公』に出会えた時、人は歓喜し『悟りを得た』というのです。私たちの本当の宝は、何者にも奪われないものです。だから私の宝は、あなたの宝にはなり得ない……」
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とある高等学校の体育館で行われた法話の原稿らしいので、高校生に話されたのであろうか。老師は、修行一筋の方であったので、こんなにも分かりやすい言葉を残されていたことには驚いた。同時に老師の慈悲心に打たれた。
「主人公」とは、本来もって生まれた心であり、お釈迦様の説かれた「仏心」にほかならない。