曖昧批評

調べないで書く適当な感想など

ネット上の人物設定を揃えるのは難しい

2016-04-02 00:27:50 | 社会
僕はLINEはまだだが、mixiとTwitterはやっている。mixiは結構初期から参加していて、会員番号が100万以下だ。たしか。

だが、mixiもTwitterも、このブログも、連携というものを何もしていない。Twitterのアカウントページに、このブログのアドレスを貼っているだけ。Twitterのツイートをブログに表示させるようにすれば、更新がないときでも読むものが少しはあるわけなのだが、今のところそうしていない。

それは、僕が精神分裂症だからである。

嘘です。人格を統合するのが面倒だからです。設定を揃えるのが面倒だからです。

僕のマイミクに、mixiとTwitterを連携させている人がいる。僕のマイミクは全員大学のサークルOBであり、全員顔見知りである。よって、マイミクの日記やつぶやきや、それらへのレスは、サークルの会話の雰囲気で行われる。だが、Twitterと連携していると、ツイートがmixiのタイムラインに並ぶ。

Twitterは、割と世界を相手にするSNSだ。見通しは悪いけど、原理的には世界中から見られているから、発言は不特定多数の、あいまいな大勢に向かってなされる。その中には、サークル内の雑談とは、明らかに異なる口調のつぶやきもある。そういうつぶやきは、mixiのタイムラインの中では浮く。それ以前に、マイミクに向かってつぶやかれていないものが混じっているという、誰に向かって言っているのかmixiで見ているとわからないという問題もあるのだが。

僕は、昔から愛読している推理作家の某氏をTwitterでフォローしているのだが、時々「こんな人だったのか」と思ってフォローを解除したくなる。作品を読むだけではわからなかったが、彼とは政治的な信条が違うのがTwitterで判明したのだ。

宮崎駿を例に挙げればわかりやすいかもしれない。右も左も、たいていの人間は宮崎駿の映画が好きだと思うが、彼は数年前憲法第9条を守ろう的な発言をし出した。それまで、彼の描く戦車や軍用機の漫画を高く評価していたミリタリーマニア勢は困惑した。

坂本龍一も、公の場で原発反対を主張し始めてバッシングされた。一番電力を使う音楽をやっているくせに、何を言っているんだと。あんたは原発の電気を使って演奏してきたんだぞ、と。

坂本龍一については、割とそういう傾向があることをファンは知っていたので、またか、と思っただけだが、ドイツ軍の戦車撃破王オットー・カリウスに会いに嬉々としてエストニアまで行った宮崎駿もそうだった、となると、我々としては、作品と作者の性格や信条は切り離して考えるしかないのだろう。

逆のパターンもある。僕は競馬をやっていた頃、田端至氏の「種牡馬年鑑」を毎年購入していた。僕の競走馬の血統についての知識は、ダービースタリオンと田端至氏のおかげで培われたと言っていい。

競馬をやらなくなってから、田端氏の著作を読むこともなくなっていたが、去年、彼がスワローズファンだということを知った。そして、彼のスワローズ愛が溢れるブログを読んだ。それまでは、競走馬血統理論の師というだけだった田端氏は、スワローズを応援する同志になったのである。本職と違うことをネットでやって好感度が挙がった例だ。

ネットやスマホやSNSの普及で、その人物をいろんな角度から知ることができるようになった。有名人はSNS間の連携をしていなくても、複数メディアでの発言をすべてネット民に検索され、比較して語られてしまう。一般人は、語る趣味や志向、文体、口調を揃えないと、そんな人だとは思わなかった、と言われてしまう…可能性がある。そんな人がいるかどうか分からないが、このブログを読んで、僕を面白いことを書く奴だなと思っても、Twitterを見てがっかりするとか、その逆があるかもしれない。僕がTwitterでスワローズの不甲斐なさにキレて暴言を吐き、それがmixiのタイムラインに乗ったら、マイミクたちは引くかもしれない。以前書いていた堀北真希礼賛記事がマイミクに見つかったら、そっとブロックされるかもしれん。

そういうわけで、複数SNSで発言、人格、設定を統一するのが面倒、あるいは不可能と考える僕は、連携機能を使わないのである。

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