アメリカには、各年のMLBワールドシリーズがどれだけ名勝負だったかを決める計算方式がある。
『ハードボール・タイムズ』のクリス・ジャフは、主観的ではなく定量的な評価を行った。彼は歴代のポストシーズン各シリーズについて「1点差試合は3ポイント、1-0の試合ならさらに1ポイント」「サヨナラゲームは10ポイント、サヨナラが本塁打によるものならさらに5ポイント」「7試合制のシリーズが最終戦までもつれれば15ポイント」などというように、試合経過やシリーズの展開が一定の条件を満たすのに応じてポイントを付与することで、面白さの数値化を試みた。
これを日本シリーズ用にアレンジして、過古72回のシリーズをランク付けした人がいる。
このランクで歴代一位に輝いたのが、1992年の西武-ヤクルトである。
1992年の日本シリーズは、今でも史上最高の日本シリーズと言われている。黄金時代真っ只中の西武優勢という下馬評の中、延長12回裏、杉浦享の代打サヨナラ満塁本塁打でヤクルト先勝という衝撃の第一戦から始まり、西武が王手をかけてからの第5戦から第7戦まで全部延長戦。全試合が死闘というシリーズだった。
これと、両チームがもう一度対戦することになった1993年の日本シリーズをセットにして、多数の関係者インタビューを元に書かれたのが本書である。
僕は1989年からヤクルトのファンになったのだが、その前は西武を贔屓していたので、1992年のシリーズは複雑だった。絶対に勝ちたい、勝ってくれ、という強い気持ちがなかったように記憶している。というか、西武の強さを元ファンとして知っていたので、「いや勝てないでしょ、まだ」と思っていた。
本書の中でも、広澤克実が同じような気持ちを語っている。広澤は西武の応援歌「地平を駆ける獅子を見た」by松崎しげる が聞こえてくるたびに足が震えたらしい。彼は92年第7戦の本塁突入失敗「お嬢様スライディング」を、本書を通してずっといじられる。数少ない笑わせ役。
当時リアルタイムで見ていたわけだが、ネットのない時代ゆえ、得られる情報は限られていた。石毛は腰痛で試合に出たり出なかったりしていたが、実は荒木から食らった死球により送球が困難になっていたらしい。今でもペンを持って字を書くのに不自由があるとか。全然知らんかった。
先に多数のインタビューと書いたが、本当に多種多様多数のインタビューが収められている。神宮球場のドリマトーン奏者の話なんてのもある。ヤマハの電子オルガンをエレクトーンと呼ぶのは知ってたが、河合のはドリマトーンというのは本書で初めて知った。
作者はスポーツライターだが、ガチのヤクルトファンなので、もっと偏るかと思ったらそうでもない。内容は概ね中立的である。多少贔屓してるように見えなくもないが、やはり亡くなっている野村監督より森監督のインタビューの方が多いので、バランスが取れてる感じ。あと作者は12球団のファンクラブに全部入ってるくらいで、プロ野球全体のファンでもある。
知将対決ということで、「キツネとタヌキの化かし合い」というフレーズが何度か出てくる。確かに当時のスポーツ紙でもそう書かれていたが、僕は両監督の風貌から、タヌキとタヌキじゃねえの、と思っていた。当時見たフレーズでは「野球の名人戦」というのが言い得て妙だと思っていたが、それは出てこない。
どちらの年も、西武は第二戦の先発がエース郭泰源である。森監督は、第一戦は情報収集が目的で、勝たなくてもいいと考えている。別の年だが、よく東尾修が第一戦に投げ、意図的にいろんなコース、球種を試して、相手の各打者を分析するということをやっていた。今そんなことする監督いる?
勝ち数の順に並べてこないので、西武が出る日本シリーズは、いつも先発が読めなかった。本書でも互いの先発の探り合いが水面下の頭脳戦として描かれていて、野村監督は、故障で投げられるはずのない伊藤智仁を登録選手名簿に入れて、西武を撹乱しようとしている。
ヤクルトの方は、92年は岡林が第一戦、第四戦、第七戦で投げている。今の感覚ではあまりにも投げすぎだが、本書を読むと、なぜそうなったかが分かる。森監督は「早く岡林を代えてくれ」とずっと思っている。それが読めるから野村監督も代えられない。第三戦の予定だった火曜日が雨で順延になり、中4日で第四戦にも使えることが分かると、躊躇なく岡林を出す。
93年の第一戦は、勝ち頭ではない荒木大輔が先発。早実時代から大舞台に強く、勝ち運を持っているから、だそうな。野村監督は「野球は頭でやるもんだ」ということを僕に教えてくれたが、結構縁起も担ぐ。連敗して宿舎のホテルを変更しようと無茶を言うエピソードも書かれている。
92年第七戦の広澤本塁突入失敗から、野村監督が敢えてセオリーに反する新戦術「ギャンブルスタート」を考案する。93年の第七戦で、古田がベンチの指示を無視してギャンブルスタートを敢行。この件について古田が二十数年ぶりに野村監督に謝るというのをYouTubeで見たことがある。僕も古田のように、あれはギャンブルすべき状況だったと思うのだが、本書によると第6戦で試して広澤がアウトになったので躊躇したらしい。また広澤か。
権藤博が横浜の監督時代に野村ID野球を揶揄して「詰将棋みたいな野球を見て面白いですか?」と発言したことがある。いや、俺は詰将棋みたいな野球を見たいんですけど。と、当時ムカついた記憶がある。本書のタイトル「詰むや詰まざるや」は、江戸時代の詰将棋の名著から貰っている。ググるとそっちも引っかかるのでチラ見したら、ああなるほど森対野村だな、と思った。