曖昧批評

調べないで書く適当な感想など

Ingress レベル8の世界

2014-10-09 23:49:11 | 日記
フィットの小マイナーチェンジが発表された。ディーラーで聞いてた通り、ガソリン車のみで「安心パッケージ」標準装備化であった。

Hipstamaticの新しいパックは買ったのだが、まだまともな写真を撮れてない。連休も台風が来るから、レビューはかなり後になるかも。


Ingressのほうは、先日ようやくレベル8になった。Ingressの最高レベルは16だが、事実上、強さがレベル8でMAXなので、一区切りというか、いわゆる「レベル上げ」は終了である。これからはAP(経験値)のためではなく、世界の平和のために戦うことになる。

Ingressは、人類を進化させる謎のエネルギー「XM(エキゾチックマター)」を巡る2つの陣営の戦いなのである。

ここに掲載しているスクリーンショットを見ればわかってしまうので告白すると、僕はレジスタンス陣営(青)のエージェントである。XMで人類を覚醒させようとするエンライテンド軍(緑)に対抗する勢力である。

レジスタンスを選んだ理由は、大戦略などでは青が主人公カラーだから。知人が青だったからというのもある。一緒にプレイしたことはないが。

レベル8になったら、また世界が変わるんだろうな、と思っていたのだが、なってみると、そんなに変わってない。相変わらず通勤中に回れるポータルは全部回る。敵ポータルハックの100APをセコくかき集めている。帰宅時の途中下車電撃ゲリラ戦も惰性で続けている。レベル7時代よりはやり方が雑になったが。Intel Mapで下調べをせず、降りてからスキャナー(スマホ)を見て攻略ルートを考える。

以前は張れるリンクは全部張らないと気が済まなかったが、今は張るのを忘れたリンクは友軍の誰かに任せるようになった。自宅周辺戦区の青軍は優勢なので、半日もすれば誰かが張ってくれる。ゲリラ戦でぶっ壊した緑軍の拠点は、そこの地元青軍の攻勢のきっかけになればいいなあとは思うが、翌日取り返されていることが多い。それでも、あ、この密集地帯ガチガチだけど取れるんだ、と地元の青エージェントが気づいてくれて、僕の攻撃以降、ちょくちょく戦闘が起こっていたりする。そういうのを見てると、旅の軍師気分でちょっと楽しい。

レベル7時代にはあまりやらなかったレゾネータのアップグレードをマメにやるようになった。レベル8レゾネータを使えるようになったから、安心してデプロイできる。レベル7までは、僕がオーナーになっているポータルで、僕のレゾネータだけ残して、あとはレベル8になったりしていた。「88888886」みたいな感じで、僕の6以外全部8。先輩たちが気を使ってくれていたのであろうか。僕もレベル8レゾを置けるようになったので、そういう申し訳なさはなくなった。レベル8バースターを使えるようになったことより、レベル8レゾネータを使えるようになったことのほうが嬉しいかも。バースターはレベル7でも充分強力なので。

アップデートするようになったのは、Builderのメダルがほしいからでもある。レベル9になるためには、APだけでなく実績のメダルが必要なのだ。もう無理してレベル上げたいとは思ってないのだが、何もないとモチベーションが低下するので、一応メダルのことは意識している。

今日は一つ手前の駅で降り、バスに乗らず徒歩で帰宅した。我が最寄駅と隣駅の勢力圏の境界線上にあって、取ったり取られたりはあんまりないけど戦略上重要な某大学のポータルを奪取した。そのポータルとつなげやすい某郵便局も落とす予定だったのだが、着いてみたらすでに青軍のものになっていた。取ったばかりらしくレベル5(87665544)ポータルだったので、4本アップグレードして88776666にし、大学ポータルとつなげてCFを作った。ポータルシールドも2枚入れた。自宅についてIntel Mapを見ると、自宅戦域は青軍の大規模な攻勢が同時多発的にあったらしく、ほぼ全域を制圧していた。僕が作ったCFも、その新しい陣地の重要な一部となっていた。僕は完全にソロで活動している一人遊撃部隊だが、こうして無言の連携ができると楽しい。明朝になったら、またいくつか奪還されていそうだけど。自宅戦域は、ガザ地区のようにだらだらと取ったり取られたりを繰り返しているのだ。

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名探偵ポワロ「カーテン ~ポワロ最後の事件~」の感想

2014-10-07 23:25:13 | テレビ・映画
NHK BSでやっていた名探偵ポワロの最終回「カーテン」を見た。この最終回は、正真正銘の最終回。「灰色の脳細胞」ことエルキュール・ポワロ最後の事件である。

すごくネタバレすると思うので、知りたくない人は回れ右したほうがよいでしょう。





僕は原作を読んでいる。「カーテン」は、いろんな意味で賛否両論の作品だが、僕にとってはポワロもの全部でトップ5に入る好きな作品である。犯人の犯行方法が興味深いからだ。

この犯人は、自分で手を下すことはない。巧妙な会話で相手のもつ悪感情を増幅させ、人を殺させる。犯人のセリフは精密に書かれていて、分かってから読み返すと、ああ、これが、とか、むむむ、なるほどこれか、と唸らされる。

彼の会話術は、実際の生活にも生かせるのではないか? もちろん殺人教唆にではなく、よくある「相手の心を動かす20の方法」とか、その類の技術として。そして、そういう話を60年以上前に書いていたクリスティーはすごい。

しかし、このドラマ版では犯人の仕込みの会話がかなり省略されていて、単にそそのかしているだけのように見えた。例えば、ラトレル氏が夫人を猟銃で撃つシーン。原作にある「兄を撃ち殺した従卒の話」が出てこない。この話はキャリントンが持ち出したものだが、実は事前にノートン(犯人)がキャリントンに語ったネタである。キャリントンの、人から聞いた話を自分のネタとして自慢する癖を利用した頭脳プレイだった。ノートンほどのテクニシャンになると、決定的な一言は自分の口から言わない。だが、ドラマ版ではノートンのテクニカルな暗示が少なすぎて、これ原作を知らない人が納得するかな?と心配になった。

ポワロが「心理的殺人教唆」と言い切ってしまっったのもどうなのか。原作のノートンは自由自在に実行犯を操っていて、ほとんど「殺人教唆」の域を超えている(だからこそポワロに処刑される)。好きな時に望むターゲットを殺せるという感じ。それを「教唆」と言ってしまうと、軽い。

原作では、ヘイスティングスは奥さんを亡くした後で、自分が娘を救わなくてはという使命感もあって殺人を決意するのだが、ドラマではその話はほとんどなかった。代わりに、アラートンが原作以上に嫌らしい男になってて、ヘイスティングスの殺意に説得力を持たせていた。

一番違うのはクレイヴン看護師だ。原作では「器量よしで健康」とあるが、ドラマでは健康なだけだった。ちょっと年を取り過ぎているように見えたし、アラートンとキスするシーンはアラートンより体格が良くて、釣り合ってなかった。

ノートンとポワロの対決は原作よりボリュームがアップしていた。ポワロが母親のことを持ち出してノートンを泣かせたと思いきや、「全然効いてませ~ん」とヘラヘラするノートン。「シャーロック」のシャーロック対モリアーティみたいだった。原作ではニヤニヤしてた、というだけだ。原作は比較的ドライに話が進んでいくが、ドラマはポワロが何度も十字架を触ったりして、最後(最期)を盛り上げようとしていた。

ポワロの最後の手紙は原作同様に、いやそれ以上に感動的だった。手紙の文章は原作通りだと思う。残していく親友に対して、あれほど心のこもった最後の言葉があるだろうか。

色々文句を書いたけど、本当のところを言うと、「カーテン」を映像で見られただけで僕は満足だ。

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「軍師官兵衛」第40回「小田原の落日」の感想

2014-10-05 23:28:20 | 大河ドラマ
台風18号情報の枠が常時入って、画面が狭い回であった。

三成の傲慢さが極まってきた。小田原攻めのために駿府城に入りましょうという官兵衛の策に正面から反論。秀吉の目の前で睨み合った。このときは、秀吉が官兵衛の策を採用して、ギリギリ踏みとどまったが、ダークサイドに堕ちるのは時間の問題という感じ。

じゃあ三成を排除すればいいじゃない。と利休がいうが、官兵衛は「三成は殿下の右腕だから」という理由になってない理由で「無理です」という。天下無敵の天才軍師じゃなかったのか? 官兵衛なら三成ごとき簡単に消せると思うのだが。

まあ、史実がそうなってないので、しょうがないね。でも、もう少しもっともらしい理由を考えて欲しかったな。

諸大名の妻子を京に住まわせることになった。人質として。それも三成の策らしい。人質だけど、テルさんはおねさんの近くに居られるからか、なんだか楽しそう。得意のホームドラマも展開。息子の嫁が単身赴任の夫と離れて寂しがるのを慰める。久しぶりに熊之助君も登場。まだ生きてたんだね。

いつやんのかなあ、と思っていた一夜城は、秀吉がやったみたいだが、「樹木を切った」と説明的な台詞を言ったのは官兵衛だった。誰の功績なのかよく分からないまま進行。

三成の忍城攻めは、秀吉のセリフだけで「失敗」と断定されて終了。この城攻めは映画「のぼうの城」となったアレだ。失敗する様が少しでも絵として映れば視聴者としても少しは溜飲が下がったところだが、戦のシーンが極端に少ないドラマなのでしかたない。

官兵衛が北条氏政にいう「北条を残すためにも」は、生きていてこそというこのドラマを貫くテーマに沿っていて、ブレない男だなと思った。その生き方が戦国のドラマとして見ていて面白いかは別だが。

官兵衛に対して偉そうに話しかけるやつは誰だと思ったら、豊臣秀長だった。相変わらず貫禄がない。豊臣家の行く末を案じる発言は、死亡フラグなのだろう。

秀吉、官兵衛、小早川隆景が額を寄せあっての作戦会議に、なぜか利休が居る。利休は官兵衛派だが、淀君を呼べばいいんじゃないかという。主人公側として正しい策なのかよく判らない。判らないが、竹の花入れを捨てられてしまい、また死亡プラグ二つ目が立った。

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新型デミオについて考えた

2014-10-05 00:21:08 | クルマ
ホンダから「あなた様のストリームはワンオーナーで人気があります」「あなた様のストリームは当店でメンテナンスしているので買い取ってから自信を持って売れます」的なことが書かれた紙が郵送されてきた。先日の半年点検で「乗り換えるかも」と言ったからだろう。

その点検の時、フィットの2015モデル(今秋の小マイナーチェンジ)がどうなるのかについては聞いているのだが、たぶん秘密なのでここには書かない。あしからず。

次のクルマは多分フィットになるとは思うのだが、まだ決断していない。「ストリームより短くて取り回しやすい」あらゆる車を一応検討している。

その中で、候補に挙がっているのがマツダ・デミオだ。まだガソリン1.3だけだが、先日新型に切り替わった。すごくかっこいいと思うのだが、残念ながら全長が4メートルを超えてしまったので(4060mm)、うちの後継車争いでは一歩後退。うちは夏の帰省でフェリーを使う。4メートルを超えると料金が高くなるのだ。もちろんストリームは思いっきり4メートル超料金なわけだが、せっかくダウンサイジングするんだから、4メートル未満のクルマにしたい。一台売りそこなったねマツダは。しかも、6センチはみ出した理由がデザインだというから困ったものだ。ユーザー目線ってやつができてないんじゃないか?

だが、船賃が高くなることを差し引いても、今度の4代目デミオはかっこいい。3代目アテンザがやたらかっこよく、マツダらしからぬ高級感さえ漂い、「こいつはジャガーかアルファロメオか!」みたいな衝撃を受けたものだが、新型デミオは、その勢いのままでデザインのクオリティが落ちてない。前から見たらアウディA1よりキリリとしてる。後ろから見たらアルファロメオ・ミトより色っぽい。

というわけで、完全には切り捨てられないデミオなのだが、詳細に調べてみて驚いた。目玉の1.5リッター・ディーゼルはともかく、ガソリンが1.3リッターしかない。しかも、3代目後期型で絶賛されたスカイアクティブとは違う、ちょっと圧縮比を下げた版らしいじゃないか(14から12にダウン)。

圧縮比はいいんだが、パワーがないのは困る。92馬力しかない。フィットは1.3を買う気がないので比較対象はフィット1.5だ。フィットの1.5リッターは132馬力もある。というか、よく見るとフィットの1.3リッターエンジンは圧縮比13.5だ。すげえな。でも全然宣伝してないね。ちなみに100馬力。

ディーゼルのほうは、ちょっと買う気がしない。父親が初代ゴルフ、初代カムリ、10代目コロナと全部ディーゼルに乗っていたが、それは当時軽油が安かったからだ。今の軽油はそんなに安くない。触媒の進化で排ガスはきれいになったが、カラカラ音や振動はまだしそう。ガソリンで同等以上の燃費とパワーのクルマがあるのに、トラックのようなエンジン音の車に好んで乗りたいとは思わない。また、ディーゼルは重い。ディーゼルエンジンは力があって、エンジン回りの各パーツの耐久性が必要だかららしい。新型デミオもディーゼルのXDはガソリンより100キロ重い1130キロである。増えた100キロはエンジン関係だろうから、全部前輪にかかる。かなりのフロントヘビーであろう。

一番気に食わないのは名前。デミオの初代は商用バンを短くしたような事務的な車だった。僕はその初代が好きだったが、威厳や上質さはない車だった。2代目は初代よりはスマートになったが、フォード・フィエスタとプラットフォームを共有したせいなのか、無駄に肥った感じだった。デミオという車名のイメージは、初代と2代目で決まってしまったと思う。いろいろとイマイチなコンパクトカーだと。

その2代目に違う皮をかぶせたのが小さな高級車を目指したベリーサだった。販売的には全くだめだったが、高級かどうかを意識して見てみると、たしかに2代目デミオよりは丁寧にデザインされているし、細部の仕上げもきれいなように思える。車体下部が別の素材(?)になってるところとか。あえてグリルレスにして、ヘッドライトを昔のコスモスポーツみたいな雰囲気にしところとか。

しかし、3代目デミオは、なぜか室内空間を犠牲にしてスポーティーにしてきた。リアの傾斜が緩くて、あれでは後席の頭上は狭いだろう。良くも悪くも実用に徹して箱型だった初代と2代目の流れを断ち切ってしまった。しかも、3代目は最初はかっこいいなと思ったのだが、見慣れると、そうでもないように見えてきた。顔が2代目からの5角形グリル風だったからかも。そしてデミオという車名だ。僕が気にし過ぎなのかもしれないが、デミオだと舐められそうで…。フィットも舐められるけど。

何を言いたいかというと、今度の新型は4代目デミオじゃなく2代目ベリーサとして売り出したほうがよかったんじゃないかということ。新型の魂動(こどう)デザインと犬の鼻みたいなグリルは、アテンザを見る限り途中で飽きそうもない。それどころか、ジャガーみたいな風格さえある。せっかく高級感を演出することに成功したのに、名前がデミオでどうする。イメージを一新して新車名にするか、隠れた高級車(風のクルマ)として一部で評価されているベリーサの名前を使うべきではないだろうか。デミオは、もっと事務的な皮をかぶせた兄弟車の名前にすればよい。今度のデザインだと商用車に採用されにくい気がするので、簡素な兄弟車は必要だと思うし。



買うならこの色かな。


こうしてアップしてみると、そんなに高級感がないような気がしてきたベリーサ。なんと、まだ販売されている。

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飲めない人は別メニュー

2014-10-01 22:01:11 | 社会
僕は酒を少ししか飲めない。ジョッキ一杯のビールで酔っぱらってしまう。最初のうちは顔が赤くなって、多少陽気になるだけだが、しばらくすると激しい頭痛と吐き気に襲われる。体調が悪い時は、翌日ひどい下痢になることも。

それなのに、大人になると、何かにつけて飲み会がある。歓迎会、送別会、忘年会、新年会。いちいち酒を飲む。酒が好きな人は酒を飲まないと懇親できないらしい。というか、彼らは体質的に酒がダメな人間のことを想像できないように見える。

飲み会の誘い(強制)があると、僕はよく「お食事会なら喜んで行くんですけどねえ」と言う。さらに「例えば、タバコを吸う"吸い会"に出ろって言われたら出ますか? 出ないですよね? 飲み会ってのは、吸わない人を吸い会に出席させるようなもんなんですよ? タバコは酒と同じくらい世界的に普及している嗜好品ですよ」と続ける。上司や幹事にではなく、愚痴を言えるような相手に、だが。

飲めない人も同じ金額を取られるのも納得がいかない。4500円の飲み放題コースだとしたら、料理はせいぜい2000円分だろう。残りの2500円は酒代である。僕はたぶん、2000円くらい損をしている。

4500円も出せば、かなり贅沢な夕食をいただけると思うと腹が立ってしかたがない。損をするだけじゃなく、頭痛と吐き気ももれなくついてくる。僕は飲み会の翌日、下痢と頭痛で仕事を休んだこともあるのだ。本当に理不尽だと思う。

そこで考えたのだが、飲めない人は別メニューにしてくれませんかね? 職場の懇親に飲み会が不可欠というなら出ますから、我々だけ4000円分の料理とソフトドリンク一杯にできませんか? 伝票処理が面倒になるのかもしれないけど、これは当たると思いますよ>全国の居酒屋さん

このサービスはいいぞ、ニュービジネス大賞(1000円床屋QB HOUSEが獲った奴)だぞ。でももうあるかもな、と思ってググったら、飲めないことでひどいことを言われたとか、飲めない人が飲み会をサバイバルする術とかばっかり。俺は好きで酒弱い体質になったんじゃないぞ。何で卑屈になってるんだ。

と怒りつつ、さらにググると、福井の
翠翔という店が、飲まない人は別料金にできるらしい。素晴らしいね。ていうか、当たり前だよね。我々は飲まないんだから。





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