公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

日常と無常 「世界は私の表象である。」というショーペンハウエルの意図

2013-01-27 18:19:00 | 日記
「仏陀、エックハルト、そしてこの私は、本質的には同じことを教えている」 アルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)  太陽が昇っても、目覚めていなければ、朝は来ない。日常とは全く意志の問題だ。 『 “暁”は「あきらか」という字で「さとる」という字でもある。悟るというのは心の闇が白んでくることだが、これに暁という字を充てた。何とも好い字である。夜の暗闇が白々と明け、物のあやめ・けじめが見えてくる。さわやかな中に、心が澄み、頭が冴え、物の姿が明らかになってくる。それだけ物事がわかる。』  安岡正篤 . . . 本文を読む
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