公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

再掲 宮崎学死去の報アリ 大学がアジト化

2022-04-10 20:38:00 | 意見スクラップ集

暴力団など社会問題を題材にした著作で知られる作家の宮崎学(みやざき・まなぶ)さんが3月30日、老衰のため群馬県の高齢者施設で死去した。76歳だった。京都市出身。故人の遺志により葬儀は行わない。

早稲田大中退後、週刊誌記者などを経て、1996年に「突破者」で作家デビュー。自らの半生を戦後日本の裏社会の実態などと共につづり、ベストセラーとなった。84~85年に起きたグリコ・森永事件の容疑者「キツネ目の男」と疑われたことでも知られ、さまざまなメディアに登場。「アウトロー」という独自の立場から、事件や警察を扱った著作を多く発表したほか、国家権力に対する厳しい目も注いだ。


私たちの世代には「キツネ目の男」としてグリコ森永事件の容疑者に浮かんだ記憶からだが、本人は一貫して否定していた。私も想定逮捕をなぞった警察リークだったと思っている。

76歳で老衰とは一時代昔の記事を見るようだ。誰もが施設で死ぬ時代になった。故人のご冥福をお祈りいたします。


孔子学院は米国で外国公館に指定

ホームグロウンテロリスト の誕生
立命館アジア太平洋大学(りつめいかんアジアたいへいようだいがく、英語: Ritsumeikan Asia Pacific University)は、大分県別府市十文字原1-1に本部を置く日本の私立大学である。2000年に設置された。大学の略称はAPU。

追補

『3年前、バングラデシュで日本人を含む22人が殺害されたテロ事件に関与した疑いのある立命館大学の元准教授の男が、イラク北部でアメリカ軍に身柄を拘束されていることがFNNの取材でわかった。

イラク関係筋によると、日本国籍を持つ立命館大学元准教授のモハマド・サイフラ・オザキ容疑者は現在、イラク北部スレイマニヤにある、アメリカ軍の収容施設で身柄を拘束されているという。

オザキ容疑者は2019年3月、過激派組織「イスラム国」の最後の拠点となったシリア東部のバグズで拘束され、その後、イラクに移送されていた。

アメリカ軍は、オザキ容疑者をイスラム国戦闘員の中でも中枢に近い「重要人物」として尋問しているとみられ、今後は、その身柄の取り扱いが焦点となる。』





《オザキの実父によると、オザキはもともとヒンドゥー教徒であり、2002年に日本政府の奨学金で立命館アジア太平洋大学に留学、日本でイスラム教に改宗した後、日本人女性と結婚、日本国籍を取得しモハメド・サイフラ・オザキを名乗るようになったという。その後オザキは立命館大学に就職、2015年にブルガリアに出国した当時は同大学の准教授であった。同大学は翌年、長期無断欠勤を理由にオザキを解雇している。

オザキは2016年にバングラデシュのダッカで発生し、日本人7人を含む24人が殺害されたテロ事件に関与した容疑で、日本でも指名手配されていた。》

立命館大学は孔子学院の嚆矢だったよね。こいつの足がかりの大学立命館アジア太平洋大学にも孔子学院がある。

2005年 - 立命館孔子学院 立命館大学と北京大学の提携により日本国内に初めて開設された
2006年 - 桜美林大学孔子学院 同済大学と提携
2006年 - 北陸大学孔子学院 北京語言大学と提携
2006年 - 愛知大学孔子学院 南開大学と提携
2007年 - 立命館孔子学院 東京学堂
2007年 - 立命館アジア太平洋大学孔子学院 浙江大学と提携
2007年 - 札幌大学孔子学院 広東外語外資大学と提携
2007年 - 大阪産業大学孔子学院 上海外国語大学と提携
2007年 - 岡山商科大学孔子学院 大連外国語大学と提携
2007年 - 神戸東洋医療学院孔子学堂 天津中医薬大学と提携
2007年 - 早稲田大学孔子学院 北京大学と提携し、世界初の「研究型」孔子学院として、4月開設、6月開講
2008年 - 立命館孔子学院 大阪学堂 同済大学と提携
2008年 - 工学院大学孔子学院 北京航空航天大学と提携し、工科大学としては日本初の開設
2008年 - 福山大学孔子学院 対外経済貿易大学及び上海師範大学と提携
2009年 - 関西外国語大学孔子学院 北京語言大学と提携し、日本の外国語大学で初めて開設
2012年 - 兵庫医科大学中医薬孔子学院 北京中医薬大学と提携
2016年 - 武蔵野大学孔子学院  天津外国語大学と提携
孔子学院は設置認可上において大学別科(専攻科)の扱いだが、特例として所定の単位を取得すれば、日本の大学及び中国の大学への編入も認められる。




ロシア人や中国人の政治が日本人と異なるのは大陸システムであること。すなわち公というものを信じない社会。したがって国際社会の公は自国の利益に合致する時だけ振りかざす。基本的に海洋システムは約束の文化。海軍や航海は約束事により交易が成り立つ。大陸システムは軍を進めることで解決してゆく。なぜならば守りたいコア以外は犠牲にしていい国民からなるからだ。モスクワにとってのシベリア、北京にとっての新疆ウイグルなどが良い例だ。

ことに中国。中共支那は無神論共産主義に加えて無神論社会(信じるのは宗族だけ)だから法の支配というものを、下から守る社会ではなく上から強制する社会しか永続しない。

梅棹氏
《このようにみてきますと、この種の知識人、すなわち、為政者の意識を持ちながら、しかも為政者から分離し、ある場合には為政者に対立的でさえある知識人の層というものは、やはり、高度産業社会の展開にともなって展開してきたもので、その点では、日本やフランス、ドイツなどの、私のいう第一地域の特徴をなすものであるとみることはできないでしょうか。》『文明の生態史観』p186 生態史観から見た日本 五 by梅棹忠夫



こういう民族間の殺し合いを知っている人こそ孔子学院と戦うべきだ。京都精華大学は今のところ孔子学院には侵されていないようだが、脇が甘くなると名前を変えて侵入すると思いますよ。


話は昔に戻る 我カク戦ヘリ

日共のアジトだった頃 早稲田の昔話。75歳になった高野孟 成岡 藤原 宮崎 など。やたらと昔を懐かしむ僧侶福島泰樹;以下は一部の写し

『高野 高校時代はどうしてたの。
福島 今日は、高野に話し聞くんだ。俺のことはどうでもいい…。でもまあ、一つだけ言わしてもらえば、一九六四年に俺にとっては一つの大きな事件が起きて、それは後の早大一文闘争へと発展してゆく「西哲(西洋哲学科)三年不正選挙」事件だ。西哲三年には、*成岡庸治(後の革マル派全学連の委員長)と**藤原隆義(革マル派政治局員)の二人がいた。』 

注釈*今は不明マスコミの黒幕(朝日新聞、テレビ朝日の人形遣い)ともいわれる **~1977年故人

ガシャーン 以下記憶と合体。

福島 その部長というのはどういう人なんだ。
 高野 その会社には内信部と外信部と写真部があって、僕は日本のニュースを外に伝える内信部。部員が四~五人、後になると六~七人いたかな、その部長が山田昭という人で、彼は共同通信出身ではなく国会議員秘書の時代から川端治というペンネームで日共系ジャーナリズムで活躍して、とりわけ若い党員たちにはそ のシャ-プな情勢分析が大人気だった。僕ももちろん、節目節目に出てくる川端論文は欠かさず読んでいたけれど、ジャパンプレスに入社するについて面接して 小論文を誉めてくれた山田さんが川端さんとは露知らず、後で知って「えっ、まさか!」と驚いた。その人に原稿を捨てられながら、教わった。
 福島 年齢でいうといくつぐらいでした。
 高野 俺より二十歳近く上かな。
 福島 それじゃあ、向こうはまだ四十歳前後だな。
 高野 不破哲三や上田耕一郎なんかと同世代の人ですよ。同じ頃に東大細胞にいた。西武の堤清二もそうだ。俺の人生で本当に「師匠」と呼べるのはこの人だけだ。

(略)

一緒にジャパンプレスから追い出された師匠の川端治が。その頃は山川暁夫というペンネームで雑誌な どに評論を書く一方、七四年春からは、手書き原稿をコピーした全く個人的なニュースレター『MAPP(軍事・政治展望)』を不定期に出していたんだが、七五年夏の暑い日に赤坂の喫茶店で会った時に、それをもっと本格的なニュースレターとして刊行したいと思ってるんだと言う。僕は「分かりました」と。「明日、会社を辞めて馳せ参じます」と。それで再び失業保険生活をしながらニュースレター創刊の準備を手伝うと同時に、フリーランス・ジャーナリストとして活動を始めた。

なるほどこのころに出会ったわけだ。

 

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福島 泰樹(ふくしま やすき、1943年3月25日 - )は日本僧侶歌人、朗読家、ナレーター東京都台東区下谷の法華宗本門流法昌寺住職。「短歌絶叫コンサート」と称する感情を込めた力強い声色を多用する朗読パフォーマンスで知られる詩人。早稲田大学理工学部非常勤講師、日本大学芸術学部非常勤講師。

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高野 孟(たかの はじめ、1944年4月17日戸籍上は3月19日) - )は、日本ジャーナリスト、『インサイダー』編集長。東京都出身。早稲田大学高等学院早稲田大学第一文学部哲学科卒業。2002年より早稲田大学客員教授サイバー大学客員教授。東アジア共同体研究所理事。千葉県鴨川市在住。選択的夫婦別姓制度実現のための民法改正運動を行っているmネットの呼びかけ人でもある[1]

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宮崎 学(みやざき まなぶ、1945年10月25日 - 死去2022年某日。ご冥福を祈りますhttps://youtu.be/_NLrL-3UnYE)は、日本評論家ノンフィクション作家小説家京都府京都市伏見区深草福稲高松町生まれ[1]

枚方の新設私学高校の啓光学園に入学し、卒業。早稲田を受験するも失敗、浪人。 その後、京都における共産党の中心的存在である谷口善太郎の元を訪れ、18歳で共産党に入党。宮崎は当時を振り返り「左翼はヤクザの猥雑で気ままな「侠」が純化された世界なんだと勝手に思い込んでいた。要するに、マルクス主義とヤクザをごちゃまぜにして両方もろともにやってやれと呑気に考えていた」「共産党とヤクザでは暴力も非合法もまるで質が違う。そうであっても、法に守られず暴力にさらされる状況下での行動の倫理、人間の事に処する処し方は共通しているのではないか、と思っていた。というよりも、ヤクザの侠をはたせないで何が左翼だ、それで革命ができるはずがない」「革命理論としてのマルクス主義、行動倫理としての侠、こいつを両方もっていればこわいものはない。ドンといってやろやないか!というわけである」と述べている[8]

1965年早稲田大学第二法学部[9]入学。学生運動にあけくれ、授業には数回しか出ず、一単位も取得しなかったという[10]。1966年、大規模な無期限ストライキに発展した、学費値上げ反対・学生会館の管理運営権の獲得を掲げた早大闘争[1]に参加、また共産党系の秘密ゲバルト組織・あかつき行動隊[要検証]の隊長に就任し、東大闘争全共闘と対立した。

1996年10月、南風社より、自らの経歴を記した『突破者』を発表し、小版元からの出版で、広告宣伝をしなかったが[2]、1997年夏時点で15万部を出版する[3]。以来「元アウトローの作家(文化人)」ではなく「作家の看板をあげたアウトロー」の「生活者」と称する[4]。2005年には英語版『TOPPA MONO』も翻訳出版された。

 

ちなみに最近の高野孟は21世紀アメリカの支配が終わり、ユーラシア、中国・ロシア・EU・インドの菱形関係の諸国が世界をリードするとあちこちで言っているらしい。米国支配が終わったのに日本は例外的に日本人はただの職人か奴隷なのか?中国とロシアが手を結べると考える時点でポンコツである。金融資本主義が生き残るためにイスラム金融を取り込もうとしているからEUがユーラシアに対して利益を見いだしているのであって、依然として国際金融は活動的である。米国の没落は国際金融の要である軍事的均衡と紛争の制御主体が、中東ではロシアに移りつつあるということにすぎない。


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1 コメント

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Unknown (高木正雄)
2020-11-05 18:47:46
立命館は日本のテロ組織である共産党とズブズブですからね(笑)
・日本初の孔子学院を開校
・徐勝(北朝鮮スパイ)
・オザキ(ISテロリスト)
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