
インディアナポリスのマックベイ艦長の名誉回復に伊58潜水艦橋本艦長の証言が貢献できたことは日本人として誇らしくおもう。
インディアナポリス(USS Indianapolis, CA-35)は、アメリカ海軍のポートランド級重巡洋艦。1945年7月26日にテニアン島へ原子爆弾を運んだ後、7月30日フィリピン海で日本の潜水艦伊58(回天特別攻撃隊・多聞隊)の雷撃により沈没した。第二次世界大戦で敵の攻撃により沈没した最後のアメリカ海軍水上艦艇である
この沈没が太平洋上 最後の水上艦沈没。 橋本 以行(はしもと もちつら、1909年(明治42年)10月14日 - 2000年(平成12年)10月25日)艦長は安易な回天特攻を抑制していた。戦後は第二復員省、復員庁勤務から公職追放を経て[33]、川崎重工造船事業部に勤務。後に神職の資格を取り、梅宮大社の神職となる。図らずも回天特攻隊員を運送する任を負っていたこと、回天搭乗員を出撃させ戦死させたこと、もっと早く哨戒海域に着いていれば広島と長崎への原爆投下を防げたのでは(テニアン島入港前の『インディアナポリス』を撃沈できたのではないか?)、インディアナポリス撃沈後に海上捜索していれば、捕虜から原爆存在の秘密が聞き出せたのではないか?と云う様々な自責の念から、太平洋戦争で亡くなった全ての御霊の鎮魂を祈る日々を送ったと云われる。
橋本 以行(はしもと もちつら、1909年(明治42年)10月14日 - 2000年(平成12年)10月25日)

1,196名の乗組員の内およそ300名が攻撃によって艦上で死亡した。インディアナポリスは、その極秘任務のために艦船位置表示システムから外されており、付近の艦船に沈没の情報が伝わらなかったため、900名近い残りの乗組員は5日後に救助が完了するまで救命艇も無いまま海面に浮かぶこととなった。
沈没後、マクベイ大佐は救助されるが、後で本国において、
- 1、魚雷の回避に有効といわれるジグザグ航行を怠った罪
- 2、退艦命令を出す時期を逸した罪
の2点で軍法会議にかけられる。戦後、インディアナポリス撃沈時の伊号第五八潜水艦の艦長だった橋本以行中佐(1945年9月5日進級[2])はこの軍法会議の為にアメリカまで呼ばれるが、橋本は「あの位置関係ならばジグザグ航行をしていても撃沈できた」と予備審問で証言をした。しかし、橋本中佐は軍法会議の審問でこの証言をさせてもらえないまま、日本に帰国することになった。
