公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

創造の手触り 知的テクスチャー

2024-01-29 20:52:00 | 窮鼠の嗜み

なかなか伝え難い

創造の手触り知的テクスチャーとは何か

 
なぜテクスチャーというのかというと、AIにインプットできない属性一般という意味でテクスチャーという用語を使っている。つまり知識になる前の知的興奮、その人にしかわからない知的拡張感覚。妄想ともいう。
 
これが伝えにくい精神的触感なのでテクスチャーと言っている。簡単に歴史的な例を挙げると分子生物学以前の生物学に物理が入り込むときのワトソン&クリックの興奮。
 
以下いろいろに言い換えてみるが、人間に付属する脳から出た精神上の触覚器の存在を論理的に確信する瞬間のこと。顕微鏡を発明するように、世界観スコープの創造という人間欲望の一種が達成される予感。あるいは脳の触覚の感度を上げさせる道具の登場。これが未だ見えぬ創造の手触り。これもまた第三の直観である。
 
 
脳は内側から照らして初めて価値を示す。これが心眼である。内側から照らすとはどういうことか。脳には空間的時間的統合(第一の直感:実在感)と論理的予測的統合(第二の直感:選別感)というものが常に働いている。著書『充足根拠律の四方向に分岐した根について』においてアルトゥル・ショーペンハウエル(Arthur Schopenhauer)が示した充足理由律の4つの根がこれに相当する。生成の充足理由律と存在の充足理由律のペアが岡潔の言う空間的時間的統合(第一の直感)、認識の充足理由律と行為の充足理由律のペアが論理的予測的統合(第二の直感)にそれぞれ相当する。
岡潔は第三の直感という。
ショーペンハウエルは充足理由律をアプリオリなシステムと言っている。ではなぜアプリオリなのかというと、充足理由律を疑うと知の体系が敗北し崩壊するからだ。岡潔の戦場であった数学の世界では崩壊するものは崩壊しても良い。

世界観スコープの創造という人間欲望は果てしない。男と女は尽きないそれは神の命なのでヘーゲルの言うように平等を達成して解決できるものではない。

かみ自分じぶんのかたちにひと創造そうぞうされた。

すなわち、かみのかたちに創造そうぞうし、おとこおんなとに創造そうぞうされた。

かみかれらを祝福しゅくふくしてわれた、

めよ、ふえよ、ちよ、したがわせよ。

またうみうおと、そらとりと、うごくすべてのものとをおさめよ」。

 
欲望は、対象との関係において、対象を廃絶することによってのみ、自分自身との平等を達成する。ヘーゲル



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