2024年4月9日午後10時40分、横浜市の自宅で肺気腫のため死去。91歳没
マフィア化の悪しき先駆けがJR労使のお手盛り利害と甘噛み対立関係だった。屋山氏は既存ジャーナリストの枠の中でナベツネの判断に従ったが、本当ならば陳謝和解したくなかっただろう。こうしてマスメディアのマフィア化が始まったのだ。皮肉な話です。
マフィア化とは公が私的仲間内によって占有されている状態を言う。ポリコレもマフィア化の一形態。
自民党推薦の参考人として国会に呼ばれ、安保法制を「憲法違反」と断じた長谷部恭男早大教授と、法政大の政治理論の専門家、杉田敦教授の議論。
「マフィア化する政治」についての議論紹介です。
杉田教授は、「1強なのに余裕がない」ことが安倍政権の特徴だ。したがって、「軽々に強硬手段に訴え」、都合の悪い文書は「怪文書」と決め付け、「恫喝的な態度を取る」。マフィア化とは、身内や仲間うちでかばい合い、外部には恫喝的に対応するやり方をいう。
長谷部教授はその話に続けて、マフィア化の本質を「公が私によって占拠されている」状態であるという。「公権力は私物化され、個人間の私的な絆をテコに政治が行われ」、反対する奴は切り捨てればいい…これがむき出しのマフィア政治だと。
86歳の頃元気でインタビューを受けている
憲法改正について
『安倍さんができなかったら永久にできないよ。ただ、改正を急ぐあまり国民投票で過半数の賛成が得られなければ内閣は退陣となる。時期尚早の勝負はしなくていい。今が改憲の最後のチャンスと国民が分かってくれば理解も深まるんじゃないだろうか』
国鉄では佐藤栄作内閣で任命された磯崎叡新総裁体制で「生産性向上運動(マル生運動)」と称した経営の合理化に乗り出す。民間企業と同じような職員教育を日本生産性本部に委託し、経営効率化の名の下、強引な人員削減を始めた。
すると、国労と動労が猛反発した。世に「マル生反対闘争」とも伝わる。組合側の情報提供により、マスコミが国鉄の無茶なクビ切りを大々的に報じ、不当労働行為が次々と発覚していった。挙げ句、生産性向上運動は佐藤政権に対する政治問題に発展する。
若い時の屋山太郎は何をしていたのかよく知らなかった。テレビで名前を知った時はすでに60歳近い人物だったと思う。その時点でなぜそれほどの人物なのか日本人として興味深いので深く掘ってみる。1986年といえば、屋山太郎はまだ54歳。
以下引用元は『暴君』
【「文藝春秋」(一九八六年四月号)は「鬼の動労はなぜ仏になったか」というタイトルで、政治評論家・屋山太郎との対談記事を掲載。産経新聞社の雑誌「正論」(同年十月号)でも「昨日の友は今の敵 国労をつぶし、総評を解体する」との松崎論文を掲載する。】
【第二臨調は同年六月に「第一次答申」を提出するが、「緊急に取り組む課題」として「三公社(国鉄、電電、専売)の改革」をあげた。この答申をうけた政府は七月の閣議で「答申を最大限尊重し、速やかに実施に移す」として新たに四つの部会設置を決めた。「臨調の最重要課題である三公社の改革」に取り組むことになったのが、加藤寛(慶大教授)が部会長となった「第四部会」である。後に初代JR東日本社長となる住田正二(元運輸次官)がこの第四部会の部会長代理に就任する。 この第四部会の参与となったのが、時事通信解説委員の屋山太郎である。屋山は参与として国鉄分割・民営化の世論対策を担うことになる。後に、屋山は「国鉄労使『国賊』論」を「文藝春秋」に、部会長の加藤が「国鉄解体すべし」を「月刊現代」に寄稿する。国鉄の赤字体質、職場のモラルダウン、労使の癒着の実態を暴き、職員四〇万人を抱える国鉄の再建はもはや手遅れで、分割・民営化の大ナタを振るうしかないことを世論に訴えることになる。】
【こうした一連の陰湿で執拗な事件が頻発するウラには松崎明がいるのではないか、と見ていたのが、時事通信政治部の解説委員時代に第二臨調のメンバーのひとりとして「国鉄分割・民営化」の〝旗振り役〟を果たした屋山太郎だった。屋山が「文藝春秋」(一九八二年四月号)に書いた「国鉄労使『国賊』論」は、国鉄改革に対する国民の世論に決定的な影響を与えた。 動労委員長の松崎明が〝コペルニクス的転換(コぺ転)〟をとげ、動労が「国鉄分割・民営化」に全面的賛成にまわったころ、屋山は「文藝春秋」(一九八六年四月号)で「鬼の動労はなぜ仏になったか」というテーマで松崎をインタビューする。このとき、松崎はこう語っていた。 「暴れ放題暴れて、言いたい放題言ってきたかつての動労には、国鉄の牙ないしは爪みたいな側面があったと思いますね。しかし、私自身の価値観が変わってきたところがあるんですよ。遅ればせながら、ようやく社会が見えてきた、という感じなんです。率直に言えば、なんとしても国鉄に残っていたいという一心なんですよ。鉄道を心から愛しているから、どうしても国鉄で働きたいということなんです」 屋山は松崎にこう問いかけている。 「動労はいい子ぶって嵐の過ぎるのを待っているんじゃないか、そのうちにまた仮面を脱いで鬼に返るのじゃないかと、疑心暗鬼で見ている人が結構いるんですよ。松崎の世を忍ぶ仮の姿だとね」】
【このインタビューから六年余の時が流れ、松崎と彼が支配するJR総連・東労組は屋山が懸念したように「仮面を脱いで、鬼に返った」としか思えない状況が続いていた。屋山は一九九二年(平成四年)三月発売の「THIS IS 読売」(四月号、読売新聞社)の「屋山太郎の激評」欄に「マフィア化するJR東日本労組」と題して要旨、次のように書き、JR東日本の経営陣とJR東労組を強く批判した。
① 東日本の松田副社長は組合での講演で「われわれは経営協議会で山形新幹線の建設計画から(種々の)投資問題にいたるまで、会社の基本的な施策について、パートナーである組合側と合意に達してから実施する」と述べているが、投資や経営方針まで労使で決めるということは、癒着もきわまれり、である。労使協議は労働条件について行われるべきもので、そもそも会社は経営方針が失敗したとき、労働組合が責任を負える仕組みにはなっていない。
② 松崎委員長はJR各社の組合に「スト権を確立し、スト指令の権限をJR総連に委譲するよう」に求めたが、この方針に旧鉄労系が強く反発し、西日本、東海、九州、四国の各労組が分裂する騒ぎが起きた。松崎はこの騒ぎを、JR西日本の井手、JR東海の葛西両副社長が画策したと攻撃しているが、国鉄は分割されたのであり、各社には各社なりの経営方針、労務方針があり、松崎が他社の経営陣を攻撃するのは異常である。これは松崎が単に総連傘下のJR東労組の委員長だけでなく、実態的にJR総連を牛耳る黒幕であることを如実に示している。 ③ 松田副社長は「松崎委員長が革マルかどうかは関係ない」と言っているが、それは経営者の発言として聞き捨てならない。米国では一九三〇年代に労使間でのイデオロギーの対立は消滅したが、労働運動はマフィア化した。東日本で起きているのは労働運動の革マル化、マフィア化ではないのか。いま、JR東日本では社内言論の自由はいっさいなく、中間管理職は息を殺して成り行きを見守っているのが実情だ。住田社長、松田副社長らは社内の不満がまったく聞こえぬフリをし、松崎らの言論封殺に手を貸している。
この「屋山論文」はわずか二ページの短いものだったが、JR東日本の労使は猛然と反発、屋山には抗議が相次ぎ、松崎とJR東労組は四月十六日、屋山と発行元の読売新聞社を相手取り、総額二二〇〇万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。労使が一体となってのJR東日本の労使関係への批判者に対する〝言論封殺〟はその後も続くが、その第一弾がこの屋山論文に対する〝拒絶反応〟だった。
しかし、労使双方からの強い抗議に、読売新聞社の渡邉恒雄社長(当時)は「松崎のような品のない男とはたとえ訴訟であっても付き合うことはない」との理由で、同年九月、陳謝し和解する。屋山は不満ながらそれに従ったという。「品がない男とは付き合わない」という程度の理由で渡邉社長が引き下がるには、JR東日本の経営陣や政権筋から強い「和解」への根回しがあったと見ても間違いないだろう。】