公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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Kindleで読む、竜馬がゆく 1

2013-06-27 09:07:10 | 今読んでる本
Kindleで読む「竜馬がゆく」司馬遼太郎

 司馬遼太郎の水戸藩の描き方はかなりひどい。その構造がわかったような気がする。つまり司馬の描きたかった幕末のエネルギーは、あくまでも龍馬の行動に代表される精神の特筆で、それを浮かび上がらせるには、背景ははっきりくっきりしていたほうがいい。土佐の上士と下士、あるいは郷士、地下浪人との対立を特殊な事情を、関ヶ原の戦いの敗者、長宗我部と毛利、島津という組み合わせで、革命の様相を簡単に対称的に説明する。
 つまり黒白をつける戦いと二重写しにしたかったのだろう。それに水戸を加えるとぐわいが悪く複雑になる。例えば田舎で聞いた風聞のように極めてあっさりと桜田門外ノ変を描き、反旗をかかげて諸国説話の旅の途中土佐に立ち寄る住谷寅之介は描かれているが、茫洋とした龍馬を評価しきれずに終わるのはよしとしても、その後、彼、住谷は過激公卿と時節を論じたりしたが、たいした維新のはたらきもせずに、慶應三年京都で物盗りの武士に襲われて死んでいると。。住谷を描いている。(p2,488)

 とんでもない。住谷寅之介は水戸藩の尊皇攘夷運動、全国の反幕府派の重要人物であり、大いに活躍している。
その死の本質も、鴨川東岸松原河原において土佐藩足軽武士山本旗郎らによって斬殺されたという事実(しかも山本旗郎は住谷の長男・次男らによって東京神田筋違見附で仇討ちされた、歴史上最後の公認仇討ちだ)を除いては捉えることにならないし、物盗りに殺されたと書き散らすことは犯罪的でもある。所詮はフィクション、小説は小説として読むとしても2000万部以上売れた小説は捨て置けない。水戸藩は歴史上明治維新の先発組で多くが薩長の協力に時期を得ずに1800人も討ち死にしている。司馬遼太郎にはじまる幕末革命史観(*)に偏った薩長土肥の行動解釈と、水戸藩にゆかりの維新志士の理解は大いに歴史的事実を無視し、かつ描いた内容も間違っている。

*  参考「革命には3段階あって、思想と行動と建設。思想があって、破壊する行動があり、最後に新しい世の中を建設していくことが革命だ。」司馬遼太郎『世に棲む日日』

続く



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