世界はほぼ500年周期で聖俗を巡っている。1517年マルティン・ルターによりヴィッテンベルクの教会の扉に論題が張られた。
1817年、ヴァルトブルク城付近で行われた宗教改革300年祭(1517年にマルティン・ルターが95箇条の論題を示している)で、各地から集結した学生たちが気勢をあげたことや、翌18年には各地の学生結社が全ドイツ・ブルシェンシャフトとして結束する動きを見せたことが、ドイツ諸邦の君主からの警戒を集めた。とりわけ、オーストリアの政治家メッテルニヒは、この問題に迅速な対処を図った。
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ブルシェンシャフト(Burschenschaft,Burschen少年達の,-schaft集合体、学生組合や学生同盟といった意)は、1815年に創設されたドイツの学生結社連合。19世紀初頭におけるドイツの自由主義運動を主導したが、オーストリア外相(のちに宰相)のメッテルニヒによって弾圧され、その運動は挫折に終わった。
1819年、ブルシェンシャフトの急進派カール・ザントが、保守反動的とみなされた劇作家コッツェブーを暗殺する事件が起こり(カール・ザントは死刑に処される)、これを契機としてメッテルニヒは主要諸邦の代表をカルロヴィ・ヴァリ(独・カールスバート)に集め、ブルシェンシャフトに対する本格的な弾圧を決議(カールスバート決議)した。(この際、連邦議会に諮る前にこの非公式な会談で連邦の方針が決定されており、ドイツ連邦における主権国家の連合体という理念が形骸化していることが明白になった。)その後もブルシェンシャフトは存続し、1848年革命にも積極的に関わっている。
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500年後の2020年ころには聖なるものに向かって新たな精神性<地上から天上の再構築>の時代が始まる。
『現代は世俗から天上を再構築するという宗教とは一見無縁に思える。しかし金融の無制限成長が思い上がりと気づき始めた草の根のキリスト教をアイデンティティーとする人々は、神の意志と聖典を意識し始めている。資本主義の行き過ぎた強欲は若い世代によって革新される必然の途上にある。そのエネルギーの源泉は、500年前と同じ富の偏在と驕慢なセレブに対する憎しみである。』イタリアという鏡
私は前からこのブログで500年の周期で文化の聖俗が入れ替わり元に戻ることを紹介しているが、今はちょうど聖なるものへ向かった周期となっている。これから120年かけてキリスト教などの一神教社会は聖なる文化を指向す7つの時代区分の一つ目(聖典復帰期)に入ろうとしている。
『現代は世俗から天上を再構築するという宗教とは一見無縁に思える。しかし金融の無制限成長が思い上がりと気づき始めた草の根のキリスト教をアイデンティティーとする人々は、神の意志と聖典を意識し始めている。資本主義の行き過ぎた強欲は若い世代によって革新される必然の途上にある。そのエネルギーの源泉は、500年前と同じ富の偏在と驕慢なセレブに対する憎しみである。』イタリアという鏡
私は前からこのブログで500年の周期で文化の聖俗が入れ替わり元に戻ることを紹介しているが、今はちょうど聖なるものへ向かった周期となっている。これから120年かけてキリスト教などの一神教社会は聖なる文化を指向す7つの時代区分の一つ目(聖典復帰期)に入ろうとしている。