山田方谷の念の結論が自分と同じなので驚く。信念の光は瞬時に世界を照らす。それでなければ、吉田松陰も佐久間象山も学問をした意味がない。人材と木材は山から出るというのはどうやら本当らしい。
エンテレケイア
言われるまでもなく、自由の光から見た時、この世は暗黒である。明日の事など、ちょっと先の複数の成り行きの順列組み合わせの結果であるというだけですでに明日の選択は暗黒である。過去は記録屋には真昼のように明確だが、自由の光から見た時、すでに選択できないというだけで明日よりさらに深刻な暗黒である。
しかしながら人間は平気で生きている。左様にこの世に慣れすぎると心の中まで暗黒が普通になってくる。つまり選択肢が無限に増え続け、長い命題の真偽が選べず、多くの人は理性と合理性では決められなくなる。自由の光から見た時、信念は尊い選択のために自由の光を得るために何かを捨てるということであり、暗黒に慣れることとは逆のものである。
ゆえに信念は己の中の唯一の光から暗黒を照らす。
死に臨んでも尚何を念ずるか。これはいつでも考えている。何か一つを選ぶ。臨死に及ばずとも自由の光の一族として常に信念は重要なこと。なぜそう思うのか。
それは死は生よりも永遠であるからだ。
希少という意味で生は大切だが、死はもっと重大なのだ。
ダイヤモンドは希少な石だが重大な石ではない。