本題に入る前に
私は実際に歴史上事実磔刑になったのはユダ(最も忠実なイスカリオテのユダ)であり、
イエスは磔刑を逃れ売春婦とまで言われ東方聖典から消されたマグダラのマリアとともにエルサレム城外から姿を消したと考える一人である。
マグダラのマリアだが、この一人の女性をめぐって何と多くの伝説が生まれたことだろう。この謎の人物、多くの伝説を生み出すほどの魅力あふれる女性であったのかも知れないが、四つの正典福音書には、ごくわずかな事柄しか記録されていない。一つはイエスに七つの悪霊を追い出してもらったということ、そしてイエスの十字架の死の場面に立ち会ったということ、もう一つは復活したイエスが「マリア」と呼びかけた女性であったということだけである。 寅さんとイエス
なぜそう考えてみるのかというと、その方が文学として聖書の登場人物を美しく捉える事ができるからである。神の子を殺した側がユダヤ人パリサイ派ならば、ヤハウエの選民とはいえ、ユダヤ民族が生き残っているのは大きな矛盾である。故に神の子イエスが磔刑に処され、誰もがそれを目撃し、マリアの前で復活ののちに天に昇ったという筋書きはヤハウエのこれまでの、旧約聖書における人間に対する関わり方(アブラハムに要求したイサクの犠牲の厳しさ)ではありえない寛容さである。だからこそイエスの奇蹟と神の恩寵の印と信者は言いたいのだろう。しかしこれはヤハウエの履歴を知らないとしか思えない。神は我が子を死なせはしない。磔刑の原因となったユダヤは許されるはずがない。
聖書に書かれている話は、後世に磔刑の犠牲を最大限に布教に生かしたいパウロの意図から復活を前提に模索した嘘話であるとした方が文学としてイエス、ユダの葛藤が立体的に見えてくる。
最後の晩餐のイエスの言葉はそのすり替え計画の予告であり、イエスは神が求めた生贄にふさわしい弟子はユダしかいないと考えたのだろう。
イエスの磔刑の死というテーマは生贄という犠牲を差し出すことで同胞の尊い心のあり様を神ヤハウエに証明する性質の論理(アブラハムの100歳の時の子イサクを捧げ物として屠る逸話)であることはキリスト教の遵奉精神中に一貫している。
磔刑をキルケゴールは独自の美意識で不十分で時代遅れと考えた。ニーチェは善僕の擬制、病的な嘘と言った。わたしもこの嘘についてはニーチェに賛同する。ニーチェになりきれないニーチェがキルケゴールである。
私にとってニーチェとキルケゴールに共感できるのはこのヤハウエの部分しかない。つまり実存主義はその発生の端緒から神ヤハウエとの関係の再構築で、端(はな)からヤハウエと無縁な日本人などその哲学に関係のし様がないのである。別宇宙の原理を吸収する意味がない。
それでも必死に西欧哲学の最新の展開を吸収することに励んだ知識人たちの間には、昭和9-10年頃、シェストフ的不安という言葉が闇取引の符牒のように流行した。マルクス主義「ニニンガ4」かシェストフ的「ニニンガ5」かつまりそれ以外かという二項対立の言い換えだとも言われている。
今は誰もそのようなバズワードの流行を拾いもしない。
(それ自体の歴史性を捨象した)誤った設問に『正しい』答えをタイムマシーンのように嵌め込むという文化ギャップの泥沼を競う者、当時の日本人は、芥川龍之介のように、明晰さを失ってぼんやりした不安に飲み込まれた。
この時代の日本の知識人の不安種は近代的個人という西欧の勉強によって強化された自己意識の虚妄に由来するものだが、そもそも設問の誤りの歴史的起源は遅れて哲学者になったシェストフ(露キエフ)がハイデッカー(ドイツ)に示唆されたキルケゴール(デンマーク)の重要さであると思われる。
日露共にキャッチアップの文化を追うものが道が二つに分かれてきたことに何かの終わり、西欧という聖書を中心とした価値基軸の崩落を日露の知識人は共に共産主義の台頭を前にして感じていた。