公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

『ラ・マルセイエーズ物語 』吉田 進

2015-11-21 13:24:37 | 今読んでる本
作曲家としてみたラ・マルセイエーズ。歴史の復習としても面白い。
教科書的フランス革命像はバスチーユ牢獄で終わるかのような淡白さだが、この革命と反革命の混乱は30年続く。最初の功労者達はギロチン台へ行ってしまうが、作曲者は危うく命びろいしナポレオンとともに戦う。

ラ・マルセイエーズの歌詞はいかにも敵味方の分裂を前提としているが、それが国民を分断する感情的装置となってフランス人に定着している。感情的装置は理性と人倫を破壊する。この先は歴史が証明するので、フランス革命と差のないところはギロチン台と空爆を比べてみたらわかることだ。大衆はラ・マルセイエーズを歌いながらギロチン台に集まった。不浄なる血とは人間の血ではないので、彼らに躊躇はない。日本人は不浄なるものを我が地に受け付けない。死の世界に触れたものは自ら穢れ落ちる。それはあくまでも同じ世界の表裏のことを指す。つまり穢れと共存する禊の知恵が背景にある。私はラ・マルセイエーズのこの歌詞にISIL・ダーイッシュの処刑の映像を思い浮かべる。18世紀末の政治哲学者エドモンド・バークが『フランス革命の省察』出版後、1791年に「フランス国民議会の一議員への手紙」を出し、バークはその中で「なるほど確かにフランス国民は主権者になったが、同時にいつ殺されるかわからない奴隷となった」と言及したように、何時誰が奴隷になるかわからない世界が、感情的装置を作動させながら、<人類共通の価値>の名の下に始まろうとしている。フランス国民は1789年からずっと奴隷ゲームの古参であるという以外に評価のしようのない国民性である。


政治の発明で最も有効な多数派支配のメカニズムは永遠に続くマイナスを創出することであり、それを埋めることが国民課題の最優先と思い込ませる幻想の効用である。家族の危機、民族の離散、民族の汚辱を取り除くスローガンもこの範疇の発明に当たる。ラ・マルセイエーズは立派な発明である。








吉田 進 訳 カサブランカよりもやや穏やかに訳される。

一番

いざ祖国の子らよ,
栄光の日は来たれり,
我らに向かって,圧政の,
血塗られし軍旗は掲げられたり,

血塗られし軍旗は掲げられたり,

聞こえるか,戦場で,
あの獰猛な兵士どもが唸るのを?

奴らは我らの腕の中にまで
君らの息子を,妻を,殺しに来る.

武器を取れ,市民諸君!隊伍を整えよ,
進もう!進もう,
不浄なる血が 我らの畑に吸われんことを.

武器を取れ,市民諸君!隊伍を整えよ,
進もう!進もう,
不浄なる血が 我らの畑に吸われんことを.
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