公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

『喜連川の風』 稲葉稔

2016-09-28 12:30:48 | 今読んでる本

喜連川には少しばかり地縁と祖先の縁があるので、小説とはいえ、喜連川氏の江戸期の家格に興味があって読んでみた。

「明治維新後は足利姓に復し、諸侯扱いであったことが考慮されて華族となり、明治17年(1884年)に当時の当主・足利於菟丸が子爵に叙された。於菟丸の長男・足利惇氏は昭和初期の著名なインド・ペルシア学者であった。一方で惇氏は散逸していた喜連川氏関係史料を蒐集し、喜連川氏研究に貢献した。惇氏死後、細川氏からの養子足利公平が第16代目の当主になっている。」wiki

小説にも細川家との縁組の話が出てくる。源氏の縁を借金交渉にという面白い話だった。



初代
足利国朝(喜連川国朝)
喜連川頼氏
喜連川尊信
喜連川昭氏
喜連川氏春(高家:宮原義辰の次男)
喜連川茂氏
喜連川氏連
喜連川恵氏(伊予大洲藩主:加藤泰衑の長男)
喜連川彭氏
喜連川煕氏(小説はこの時代)
喜連川宜氏(紀氏(後の長岡護美)を細川氏より養子に迎えていたが勤まらず、宜氏に交代)
喜連川縄氏(水戸藩主:徳川斉昭の十一男)
足利聡氏(高家:宮原義直の次男・足利姓に復姓)
足利於菟丸(縄氏の長男)
足利惇氏
足利公平 - 足利氏分家・細川氏からの養子
16代


高家吉良家の菩提寺 華蔵寺(けぞうじ)は山号を片岡山(へんこうざん)といい、吉良上野介義央公の曾祖父である吉良義定が旗本として吉良家を再興した際に、父義安の菩提を弔うために慶長五年(1600)に創建した臨済宗寺院です。 吉良家墓所には義安以下、代々の墓が建ち並び、毎年、吉良公の命日である12月14日には毎歳忌(まいさいき)法要が行われ、たくさんの参拝客が訪れます。 御影堂には吉良義央公の木像(県指定文化財)が、義安像、義定像と並んで祀られています。義央公50歳の姿を刻んだものといわれ、自ら彩色を施したと伝えられています(普段は非公開)。また、吉良家ゆかりの文化財を数多く所蔵しています。
住所 〒444-0531 西尾市吉良町岡山山王山59
TEL 0563-35-0935
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