公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

拷問の話 岡本綺堂

2015-03-27 18:11:29 | 今読んでる本
『芝居や講談にはややもすると拷問の場が出るが、諸大名の領地は知らず、江戸の奉行所では前にいったような事情で甚だしく拷問を嫌うことになっている。あの町奉行は在職何年のあいだに何回の拷問を行ったといわれると、その回数が多ければ多いほど、彼の面目を傷けることにもなるので、よくよくの場合でなければ拷問を行わないことにしているのであるが、相手が強情でどうしても自白しない場合には、否でも応でも拷問を行う外はない。証拠の材料も揃い、証人もあらわれて、それでも相手が強情を張っているかぎりは、ほかに仕様もないのである。 

わが国にかぎらず、どこの国でも昔は非常に惨酷な責道具を用いたのであるが、わが徳川時代になってからは、拷問の種類は笞打、石抱き、海老責、釣し責の四種にかぎられていた。かの切支丹宗徒に対する特殊の拷問や刑罰は別問題として、普通の罪人に対しては右の四種のほかにその例を聞かない。しかも普通に行われたのは笞打と石抱きとの二種で、他の海老責と釣し責とは容易に行わないことになっていた。前の二種は奉行所の白洲で行われたが、他の二種は牢内の拷問蔵で行うのを例としていた。

世間では普通に拷問と呼んでいるが、奉行所の正しい記録によると、笞打、石抱き、海老責の三種を責問、または牢問いと云い、釣し責だけを拷問というのである。しかし世間の人ばかりでなく、奉行所関係の役人たちでも正式の記録を作製する場合は格別、平常はやはり世間並にすべて拷問と称していたらしい。』


穏やかだったんですね。江戸時代とはいってもいきなり拷問をするものではなかったらしい。釣し責は稀だったらしい。奉行所の名誉が自白であるということは現代警察の自白最強神話と同じ構造を遺している。全録画に抵抗している文化背景は自白予定調和という江戸の捜査慣習に起源があるのか?
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