
釧路は11°らしい
人間は考える葦というよりは、人間の考えの多くは興奮とその前兆及び幻想の連鎖への従属あるいは虜である。人間は確かに何事かを考えてはいるが、碌なことを考えていない。五感の充足 餌 セックス 名誉 特権 新しい体験 こういうものが期待できる前兆やそこへの幻想ばかり考えて一人で興奮している。あとは義務とか予定とか考えていると不安になるようなつまらないこと。
本来神の与えた通り過ぎるだけの生で十分なのに、足りないと感じている。この理由は寄生生物に操られやすい脳を持ったがため、これは人間の生物環境の性(さが)である。寄生生物すなわち腸内細菌から貰うパワーはとてつもなく豊かで、人間の個体の生存確率を上げてきたから種として繁栄している。脳はこれに従順にできているので食生活習慣は変えられない。
アナンダミドはエピクロスに勝利をもたらす最後の哲学、すなわち脳科学あるは生理化学のキーワードだろう。人はなぜ生きる意欲を持っているのか。母親の乳房から分泌されるタンパク質には脳内モルヒネの前駆蛋白が含まれている。人間の幸福の量はこの時が最大である。なぜなら、血液脳関門がすぐに閉じてしまうから、大人になってから母乳を吸っても幸悦感は味わえない。生まれながらにしてエピクロス派の人間の幸悦追求の旅が始まる。
「人間は考える葦である」とは、フランスの有名な哲学者・パスカルの言葉です。 葦というのは水辺に育つ、弱く細い草のような植物のことで、パスカルは著書の中で「人間は自然の中では葦のように弱い存在である。 しかし、人間は頭を使って考えることができる。 考える事こそ人間に与えられた偉大な力である」ということを述べています。
パスカルが選んだのがなぜ植物だったのかわからん。