公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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書評 「シネマの極道」日下部五朗 (著)

2015-01-25 23:12:00 | 今読んでる本

この映画、池部良と高倉健殴り込みシーン誰もが覚えていることだろう。三島由紀夫も市ヶ谷の最後の日(1970年(昭和45年)11月25日)に仲間と口遊んだこの曲

私は鶴田浩二と高倉健に関する日下部氏の評価が全く違うことに注目して読んでみた。

鶴田浩二が表向き内省的、抑制的印象をもっていたが、読んでみるとそんな思いは映画スターをみる勝手な観客のイメージで。女に手の早いスケコマシは、鶴田浩二の方。でも、鶴田浩二は時間には遅れずセリフもちゃんと事前に入れてきていたらしい。
これに対して、高倉健は、撮影前は眠れずかなり神経質で遅刻の多い問題児だったというから、若い時というのは意外なものだ。若い時から鶴田浩二は自制心の強い不良で、高倉健は小心な見栄っ張りだったのだろう。歌は断然、鶴田浩二のほうがうまい。高倉健は本当に不器用ですからね。

実録シリーズ「仁義なき。。」作に入ると、高倉健も一旦気持ちが極道映画から離れてゆく。この辺りの綱引きは、こっちのリンクが詳しい^_^。しばらくは俊藤筋の俳優は菅原文太だけだったのか。東映の中にも路線転換と主導権に微妙な変化が生じたことがわかる。俊藤浩滋プロデューサーについては、半ば本物のあちらがわという前提で書かれている。その辺りが面白い。俊藤浩滋が岡田茂と手打ちした結果、高倉健再登場で生まれたのが、実名映画「山口組三代目」(1973年)という大ヒット映画だというから凄い時代だね。ちゃんと田岡一雄組長の息子に芸能事務所報酬として収益歩合が入っている。今の法律では考えられない。さすがに警察のご注意があったのだろう。1976年には高倉健も東映から独立して、この筋からは手を引いている。



『ちょうどこの頃 、水城一狼という歌の好きな大部屋俳優が自分で作って口ずさんでいたのが 、
♪義理と人情を秤にかけりゃ義理が重たい男の世界 ― ―
つまり名曲 「唐獅子牡丹 」だった 。これを健さんに歌わせて 、 『昭和残俠伝 』シリ ーズで花田秀次郎 (高倉健 )と風間重吉 (池部良 )が道行のごとく並んで殴り込みに行く場面に決まって流し 、日本中をシビレさせることになる 。』

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