公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

いずれ読もうと思う 『愛するということは』

2024-08-29 15:02:00 | 今読んでる本
https://www.shinchosha.co.jp/book/352212/
中江有里の作品を桜木紫乃が書評してるなんて最高に幸せな組み合わせ。

片親という時期が一年ほどあった自分にも、どうしても普通ではない家族に適応していかなければいけないという健気な思いとなぜ自分だけ違うのかという棘のある悔しさが混ざっていた日々は幼過ぎて言語にできなかった泣けない辛さが重なっていたことを思い出す。





あのとき果たせなかった「愛」が積もる

桜木紫乃

 仕事場に一幅の掛け軸を下げた。
 全紙を軸装すると畳一畳ぶんの大きさになる。
「一點」と書かれた軸は、余白が本来の作品ではと思うほどに潔い。「一點」――非常に少ないこと、希少なこととあるが、この軸をひと目見たときに思い浮かんだ意味は「たったひとつ」だった。
 焦がれ焦がれて手に入れた。雑然とした仕事場の、やっと作った壁に落ち着いてもらい、朝夕しみじみと眺める日々が続いている。
 毎日祈るように見つめる「一點」の二文字。なにも足せず、引くこともできない透明な世界がそこにある。
 白でも黒でも色があれば別の色を重ねてゆける。しかし透明はそうはいかない。いつまで色を与えても向こう側が透ける。頑固なまでの自我、そして潔さである。
 中江有里氏の長編『愛するということは』を読み終えたとき、この掛け軸に感じ続けた「透明さ」がいっそうはっきりと胸に落ちてきた。
 物語のまん中に据えられるのは母と娘の半生なのだが、このふたりには逃れられないわだかまりがある。
 母ひとり子ひとり、その関係はいつの世も薄い氷の上を歩くように危うい。加えて母には傷害の前科がある。
 不実な男の暴力と暴言、傷ついた体と心。耐えられず犯した若い時分の罪は、女の人生を早いうちから食べ尽くそうとする。自身の人生の一大事に、申し開きもせず争う気力も起きなかった里美の魂は空虚だ。
 里美の人生は、自分を手に入れ損ねた若いうちから、薄闇を養分のごとく流れ始めた。母親、父親、弟。血縁に疎まれながら世の中を流れているところへ、やっと守りたいものが現れた。それが、汐里だった。
 里美の人生は幼い汐里を中心に回ろうとするが、その生活は決して裕福ではなく、あまりの困窮にご祝儀泥棒をはたらいてしまう。
 まっとうを夢見て、傷だらけの女は弱々しい足取りで立ち上がり、転び、再び立ち上がる。ひとり生きるだけでも手いっぱいなところへ、子どもはどんどん大きくなる。大人の言動に疑問を持てば、嘘をつくことを覚える。
 子育ては山と谷、喜びと傷の繰り返しだ。
 ふたりきりで生きているようで、しかしふたりを生きるためにこの母と娘はさまざまなひとに出会う。その出会いに、己のかたちを確かめながら歩く。
 生きてゆくということは、あらゆる困難から生じる心のありようと見つめ合い、ひとつひとつ克服するということだ。どんな時代に生まれても、己を知るのは苦しい。(以下略)


『愛するということは』 中江有里 | 新潮社

『愛するということは』 中江有里 | 新潮社

里美は、娘の汐里と2人で暮らしている。若い頃の前科が原因で家族とは疎遠となり、やがて生活に困窮した里美は罪を犯してしまう……。愛を夢見て、妬んだ里美と、愛を求めて、...

 


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