大前研一氏が珍しく凡庸なことを言っている。メンバーシップ型からジョブ型に転換する。のが日本人の働き方の道。らしい。
ジョブ型というのは簡単に言えばみなさんの仕事がプロ野球選手のように部品化するということ。メンバーシップ型というのは過去の貢献を評価して、仕事はしていなくても仲間でいられる仕事ということだ。どちらが心地よいか、どちらも100%実現ということはない。これは明らかで、欧米がジョブ型が進んでいる(リモートにも相性がいい)から欧米にはジョブ型の弊害がないかというと、そうでもない。帰属意識と熱意が低下する。そしてこれがジョブ型の行き詰まりを示したグラフだ。
日本人は逆に帰属意識を植え付けて逃げないように無理してきたが、そういうジョブモデルはもはや成功の鍵ではない。働きアリの実験でも、勤勉な外見のアリを集めても、実際に活動しているのは30%程度と変わらない。そのほかのアリはメンバーシップに甘んじている。つまり働かないアリはリザーブということだが、人間の場合長期にリザーブに置かれると優秀な人間から帰属意識が薄れ、やがて移籍してまうのでうまくいかないメカニズムである。40年前はほかのアリの巣穴で仕事する風習はなかった。つまり終身雇用、滅私奉公。
日本の会社は30年前までアリの巣のような閉塞性を持っていたが、今は働き蟻が会社に帰ってこないのも普通だから、上司の前での局所的効率性は評価されない時代になっている。効率性は内的なものだけではない。会社の評価で言えば、会社発表の利益ではもはや評価されない。借金してでも純資産の増えてない会社は外的に魅力ある企業と評価されない。しかし本当にジョブ型雇用が日本で主流になっているのであれば、東大学歴など不要なわけだが、究極的にはメンバーシップ型雇用が残るだろうと予想できる。
ではどういう働き方が理想かというと、複数のメンバーシップもちで、スキルの評価されるジョブ型の仕事を継続するというのが働く側の理想である。しかし国全体でこの理想を追求するとジョブ型の需要と供給の緊張関係は常に供給過剰になる。経営の側から見ると、ジョブ型の働き手の移動がコスト低減し生産性を上げるのならば採用したいが、その需要は短期的と予想できる。仮に製造業のようにスキルを持った専門職が高速に需要口をネット上で渡り歩き需要を満たすのであればこのタイプは成功するだろう。
上司はトレーナーになるということだが、これもプロのトレーナーが生き残るシステムであるから、結局正解のない経済社会では、マッキンリーなどの権威に依存することになる。結局コンサル業の口のいう、自己ご都合分析だから切れ味がない。