公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

「決定版 日本人論」 渡部昇一

2016-09-14 23:07:00 | 日本人
おそらく日本人へ向けた渡部昇一の最後の警告あるいは遺言になることだろう。

渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年(昭和5年)10月15日 - )は、日本の英語学者、評論家。名誉教授。専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)博士。称号・名誉学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)名誉博士。公益財団法人日本財団評議員

目次
序章 日本人が決して失ってはいけないもの
第1章 日本人が持つ不変の力
第2章 対立ではなく融合する日本人の宗教観
第3章 日本人のDNAにひそむ「もののふ」の力
第4章 信長・秀吉・家康が現代に残した教訓
第5章 一国で一つの文明を持つ国・日本



序章について
奇しくもアカデミアのプロモーションについて、私の主張と同じことを指摘している。

近代史研究家 関野通夫の国士舘WGIP講演も非常に参考になる。

昭和14年鎌倉市生まれ。昭和39年東京大学工学部航空学科卒業後、本田技研工業株式会社入社。工場勤務後、フランス5年半(技術部長)、イラン2年(合併会社の代表)、アメリカ9年(ホンダ関連会社現地法人執行副社長、社長)として駐在。その他、東アジア、ブラジルの海外生産活動の責任者を務める。平成13年退職、実務翻訳に従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)  
世界史で読み解く日米開戦「一神教」が戦争を起こす理由』より

自分のまとめを自家引用すると
《リトアニア移民を両親に持つハーバードの経済学者でユダヤ人のホワイトはソ連のスパイ。モーゲンソーはホワイトとともに日本への最後通牒ハルノートを突きつけた作成当事者。日本生まれで社会主義者、ソ連のスパイを疑われ自殺したエドガートン・ハーバート・ノーマンの所属した太平洋問題調査会という元祖NGOのリーダー、オーウェン・ラティモアなども蒋介石と米国のバイプ役となった社会主義者として名を残している。太平洋問題調査会は1961年10月に解散するまで国際事務局が存続した。日本側委員会は戦後再建し、高野岩三郎幣原喜重郎(三菱の閨閥娘婿)、大内兵衛都留重人(ハリー・デクスター・ホワイトの教え子)ノーマンとも因縁がある(共産主義者であった事を告白してノーマンが自殺に至ったとも言われる)、矢内原忠雄横田喜三郎(天皇制否定論者で東京裁判肯定派の法学者)、末川博(民事法学者・権利濫用・不法行為の研究者)、言わずと知れた『諸君!』1972年5月号で「言論無責任論」を豪語した立派な左翼羽仁五郎らのリベラルから左翼に至る言論部門の連合をつくり、丸山真男の「戦後日本のナショナリズムの一般的考察」(市民社会とそれを支える市民の未成熟が無責任体制としてのファシズムを生みだしたという説、戦前のナショナリズムは擬似ナショナリズムである説に基いて成熟した市民社会がやがてナショナルなものを削ぎ落とすという誤解、主権在民を目指す民主主義は永久革命であると主張)は1950年大会で「華々しく」発表された。》


ハーバート・ノーマンは戦後アカデミアの生みの親である。都留重人は盟友。滝川幸辰。鵺のごとき変節人形 鈴木安蔵は御しやすく無防備な学者の典型。
「カナダの外交官でGHQ(連合国軍総司令部)幹部だったハーバート・ノーマンが英ケンブリッジ大に留学していた1935年、英MI5(情報局保安部)がノーマンを共産主義者だと断定し、第二次大戦後の51年にカナダ政府に通報していたことが26日、英国立公文書館所蔵の秘密文書で明らかになった。ノーマンは50年代にソ連のスパイ疑惑が持ち上がったが、MI5が既に戦前から共産主義者と断定していたことで、ノーマンが関わり、左翼的傾向が強かった初期のGHQの日本占領政策の再検証が求められそうだ。(編集委員 岡部伸)」「50年に米上院でノーマンがソ連のスパイだという疑惑が浮上。さらに51年5月には、ノーマンと同じケンブリッジ大トリニティ・カレッジを同じころに卒業した英外務省高官のバージェンスとマクリーンが失踪し、同大在学中に共産主義に傾倒した5人によるソ連のスパイ網「ケンブリッジ5」の疑惑が浮上。MI5は、ノーマンはそこにつながる「ケンブリッジ・リング」の1人だという疑いを強め、51年10月に急遽(きゅうきょ)、カナダ連邦騎馬警察RCMPに通報した。」2014.11産経新聞

私は、矢内原の無教会派キリスト教徒(内村鑑三の流れ)としての信念と、植民地経営経済学はどう内面的につながるのか疑問だったが、征服者/異教を打ち砕く者として一貫性のあるもので、その背景がマルクス主義であることが一見矛盾する様に見え、個人的に一時戸惑っていたが、マルクス主義は既存宗教破壊の哲学であるとともに伝統的支配者資産総取りのバイブルであって、「日本の理想を生かすために、一先ず此の国を葬って下さい」と矢内原が神に願ったことと全く整合する。日本人の中の異教の精神を打ち砕くべき宗教と解釈していたに違いないのだった。これですべてが腑に落ちた。

とはいえマルクス主義は当時米国でも流行の学問スタイルだった。影響を受けない学者はいなかった。マルクス主義の攻撃する宗教は非ユダヤ教徒の律法によらぬ非一神教の迷信の類いで、マルクス達の信じているものは神との契約であり、著作の中の宗教では無かった。矢内原はそこまで理解してマルクス主義を取り入れていた。
Man emancipates himself politically from religion by banishing it from the sphere of public law to that of private law. Religion is no longer the spirit of the state, in which man behaves – although in a limited way, in a particular form, and in a particular sphere – as a species-being, in community with other men. Religion has become the spirit of civil society, of the sphere of egoism, of bellum omnium contra omnes. It is no longer the essence of community, but the essence of difference. It has become the expression of man’s separation from his community, from himself and from other men – as it was originally. It is only the abstract avowal of specific perversity, private whimsy, and arbitrariness. The endless fragmentation of religion in North America, for example, gives it even externally the form of a purely individual affair. It has been thrust among the multitude of private interests and ejected from the community as such. But one should be under no illusion about the limits of political emancipation. The division of the human being into a public man and a private man, the displacement of religion from the state into civil society, this is not a stage of political emancipation but its completion; this emancipation, therefore, neither abolished the real religiousness of man, nor strives to do so.
公人と私人に分裂するかぎり隷属の停止でも宗教的人間の停止でもないとマルクスが言うのは律法に統合されていない幾千にも分かれた宗教のことを言っている。そういうものを宗教という。契約は違う、公人と私人が一致するから神の計画を実施するのだ。
戦前から戦後のアカデミズムのマルクス主義汚染これが決定的に日本人をダメにした。日本人のアイデンティティを敵視するだめな日本人を再生産した。簡単に言えば、日本を年寄りのいない国、自尊心のない国にした。

それが第1章の「日本人が持つ不変の力」に続く。

もののふの心は、一人の命に収まりきれない大きな価値ー時間軸【主従関係や自分達のルーツを含む】のために命さえ惜しまない。

日本人は国土や風土が残れば精神再生できるという特殊な感覚を持っている。

逆に外地と非常時にあってはその風土感覚を失うからこそ脆い。風土なしにアイデンティティを日々生成できないという欠点を持っている。そこが精神の弱さといえば、まあそうだろう。そういう一国一文明という特殊な在り方は、人間本来の貴重な在り方でしょう。

WGIPのIはinformation であり immunity であった。

東京裁判の仕掛け人 ケン ダイクとも呼ばれる大衆洗脳の専門家 なぜReedというファミリーネームを隠したのかは、一族の関係を追うとわかる。

ダイク ケネス
Dyke Kenneth Reed 

人 元・GHQ民間情報教育局(CIE)局長。 


Gen Kenneth Reed Dyke 

BIRTH
New York, USA
DEATH17 Jan 1980 (aged 82)
BURIALArlingtonArlington CountyVirginiaUSA
PLOTSection 3 Site 1958
MEMORIAL ID92218488 · View Source


国籍
アメリカ

生年
1897年3月12日

没年
1980年1月17日

出生地
ニューヨーク市

学歴〔年〕
エシカル・カルチャースクール卒

経歴
1918年第1次大戦でドイツ、フランス戦線に従軍。復員後NBC入社、販売促進調査部長となった。’43年第2次大戦に参戦、’44年陸軍大佐となり、主に対日心理作戦に従事。日本敗北後’45年9月GHQの初代民間情報教育局(CIE)局長(同年末准将)となり、占領初期の教育、宗教マスコミなどの民主化政策を強力に推進した。政治犯釈放、特高警察解体信教の自由、教職員パージ、報道の自由政策、天皇人間宣言の草案執筆、教育改革など、日本の戦後民主主義育成に大きく貢献。しかし’46年休暇で帰米中の発言がマッカーサーの怒りを買い、同年局長を辞任して帰国。のちNBC副会長。

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