公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

畏敬の念について バートランド・ラッセル(松下彰良・訳)

2015-12-19 14:04:41 | 今読んでる本
『賢明な人間だと思ってもらう一つの方法は 、その時代に流布している偏見を熱烈な雄弁で擁護し 、その修辞で自分の推論能力の不足や同情的理解ができなかった事実を覆いかくすことである 。偉大な著作家や偉大な雄弁家は 、このようなやり方でこれまで量り知れぬ害を世の中に及ぼしてきた 。』

出典 : O n r e v e r e n c e , N o v . 9 , 1 9 3 2 . I n :M o r t a l s a n d O t h e r s , v . 1 ( 1 9 7 5 )

『過度の'畏敬の念'によってもたらされる害の最も顕著な例は、アリストテレスの影響である。11世紀と12世紀のごく短期間、即ち、西洋がアラブ人たち(アラブ世界)との接触を通じて彼を再発見した時には、彼の著作は知的刺激剤としての役割を果たした。しかしあっという間に、彼は'正統主義'の正典(基本的重要文献)、彼の言ったことの誤りの立証なしには、(学問の)進歩は不可能となった。
 ガリレオが彼の時代の天文学の教授たちに、彼の望遠鏡で木星の衛星(月)をのぞかせることに失敗したのは、彼らが木星に衛星(月)がないとアリストテレスが主張していたことを'知っていた'からである。ガリレオは生涯、聖書(の記述)との想定される不一致のみならず、アリストテレスの教説への不同意のために、強く非難された。』


セプール・ベダを思い出してみよう。
セプルーベダとも表記される。
『セプール・ベダによる征服戦争の四つの正当根拠 『第二のデモクラテス。インディオに対する戦争の正当原因を巡る対話』だろう。

1) インディオはアリストテレスのいう「先天的奴隷」,生まれながらにして理性を欠き、愚鈍であるがゆえに、理性を備えた人、スペイン人、に従うべき。

2)インディオは偶像崇拝や人身犠牲など、自然に反する罪を犯している。

3)圧政的支配、人身犠牲など、から弱者、犠牲となる人々を救う。

4)インディオをキリスト教世界へ導き入れるのはスペイン王国がローマ教皇から授かった使命、義務であり、その目的に軍事力を行使するのはやむ得ない。』

神を信じない、特に彼らの指定する神を信じない人間は、生まれながらにして理性の無い人間に分類される。もう一度表向きにアリストテレスが利用される事はいかにも時代に合わないが、教義の一貫性を重視するローマカトリック教会は同じ原理を継承している。これからフランシスコが始める戦うローマ・カトリック教会はISILをセプール・ベダのインディオの扱いと同じように定義する事だろう。


画像は投稿本文とは関係ありません。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「昭和風雲録」 安藤昇 | トップ | 神との戦い »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。