公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

神との戦い

2015-12-19 19:41:32 | ジョージ・ソロスのワンワールド
『凡ゆる観念を述語として含む主語は、純粋な欠乏、即ち無である。故に、それは神ではない。』

凡ゆる観念を述語として含む主語はある。あるはずである。私たちは一瞬しか生きていないが、宇宙の135億年の歴史からみたら私たちの知る一瞬の10,000年程度の文字の情報量はあまりに小さい。敢えて言うと、主語は宇宙生成における灼熱の素粒子であり、量子のもつれ挙動は原初から連結し、分裂し素関数として光の自由が始まる前に成立している。膨大な素関数の膨大な連結と無窮の時間から得られる確率密度の偏在と偏在を感知する知識情報はある時点で、我々の知らない過程を通じて、物質に移し替えられる。そこが意識の始まりである。常識と異なるが生命が始まる前に意識が始まる。私たちの体は生きていても、死んでいても、意識がある。意識はそれらの知識情報の構造化がもたらす情報空間の極小さな陰の部分過ぎない。その原因は神ではなく、単に人知を超えた情報の海が生み出した外部記憶、果てしない知識情報の階層構造である。

長い長い時間を経て、つい昨日生まれた、台所のソーセージにジャンプしている犬の活動は意図である。意図の物理的根拠が究極的に脳のどこかによって担われてさえいれば、初期原初素量子間の素関数の無意味なホワイトノイズの集合からソーセージジャンプの意図までを埋める宇宙の仕組みは、必然的に時間と情報のスケール問題となる。

ハイゼンベルクには、なんとなくそのように思うべきフロンティアに見える「答え」があったのだろう。それはシューレディンガーよりも深い答えだったかもしれない。

シュレーディンガーは単に《無秩序から秩序が生まれる物理仕掛け》と《秩序が秩序を生む物理仕掛け》とを区別して見せたにすぎない。後者が現代の科学の前提であるが、前者の物理的仕掛けには全く証拠と言えるものがない。直感思考が必要な分野が神との戦いである。
私の意見に対して私は貴方の同意を一切望まない。私はただ貴方の心に自由が働くことを願い、より次元の高い自由の働きを期待するのみである。

私のリンク集

死の恐怖に打ち勝つ最良の方法は -少くとも私にはそう思われるが -自分 (あなた )の関心 (の対象 )を次第に広くかつ非個人的なものにしていき ,ついには自我の壁が少しずつ退いていき ,自分の生命がしだいに宇宙の生命に溶け込んでいくようにすることである 。出典 : P o r t r a i t s f r o m M e m o r y a n d O t h e r E s s a y s , 1 9 5 6 .詳細情報 : h t t p : / / r u s s e l l j . c o m / c o o l / 4 8 T _ H O W _ T O _ G R O W _ O L D . H T M バートランド・ラッセル
私もラッセル先生の路線ー死の恐怖に打ち勝つ最良の方法ー分類に当てはまる。論理的帰結である。


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