半藤一利氏は最後の旧制高校世代出口氏の18年上、旧制高校以前のエリートは語学を徹底した。一方の出口治明氏は私の10年上の方。もちろん勉強はされたろうけど、翻訳を読んで外国文化を知る世代だ。
団塊の世代の中でも日本で最も人口の多い世代の選抜は大変な勉強をされたのだろうけど、それでも翻訳のフィルターはどうしても避けられぬ。私の世代はさらにその評論が日本語翻訳を底本としているから、目も当てられないほど勝手な思い込みを批判し合う。それでも私らは語学を徹底したし、ドイツ語でドイツイデオロギーを読んでいた。ちなみに私は文系じゃないよ。ドイツ語なんか習得してもほとんどが英語文献の時代が今。実につまらなく欧米の受け売りで中途半端な教養(自分たちが未開であることを装ってまでひれ伏す権威主義の)トロフィーを得るために高い授業料を支払って時間を無駄にしているのが今の大学だ。人生のトロフィー(誰が見ても金ぴかに見える平易な権威)はもらった瞬間に価値がなくなる。その人の努力が内容ではなく、ただの記号になる。
半藤一利氏は吉田茂を白州次郎を通じ直に知る世代御歳八六歳だから、昭和の話にはそれなりの重みがある。出口氏は博学であるが、完全な戦後世代で、昭和の空気は半分しか吸っていないし、このテーマに沿っているせいもあって、日本を見る目がはなから未開の異民族を見る目である。
歴史というものは己を知るための研鑽であって、真実らしさを競う土俵ではない。私が昭和の謎に興味を持って深掘りするのは自分を産み落とした昭和が理解できないと一生親無し子で終わる気がするためだ。
映画では時代劇のセットに古色の汚しを入れる作業があるが、司馬遼太郎が美しく書き過ぎた明治維新から日露戦までの日本を実像で汚しを入れた半藤一利に上乗せして汚しを加えてこれこそ真実と言ってみたところで嘘とは言い切れない推測による概念的再構成であることに変わりない。だからそれぞれの歴史観があって良い。
世界史マップ
繰り返すが、歴史というものは己を知るための研鑽であって、真実らしさを競う土俵ではない。しかし2017.4.10公開のキッシンジャー・ケーブルズには、1973年から1976年にかけての170以上の米国の外交記録が含まれるという。自民党70日間の分裂抗争から田中角榮を巻き込んだロッキード事件まで、どのようにキッシンジャーは『高度に』関与したのか、やがて明らかになるだろう。立花隆がキッシンジャー・ケーブルズに沈黙しているのなら、この男の役割もこれまで以上に明確になるだろう。
団塊の世代の中でも日本で最も人口の多い世代の選抜は大変な勉強をされたのだろうけど、それでも翻訳のフィルターはどうしても避けられぬ。私の世代はさらにその評論が日本語翻訳を底本としているから、目も当てられないほど勝手な思い込みを批判し合う。それでも私らは語学を徹底したし、ドイツ語でドイツイデオロギーを読んでいた。ちなみに私は文系じゃないよ。ドイツ語なんか習得してもほとんどが英語文献の時代が今。実につまらなく欧米の受け売りで中途半端な教養(自分たちが未開であることを装ってまでひれ伏す権威主義の)トロフィーを得るために高い授業料を支払って時間を無駄にしているのが今の大学だ。人生のトロフィー(誰が見ても金ぴかに見える平易な権威)はもらった瞬間に価値がなくなる。その人の努力が内容ではなく、ただの記号になる。
半藤一利氏は吉田茂を白州次郎を通じ直に知る世代御歳八六歳だから、昭和の話にはそれなりの重みがある。出口氏は博学であるが、完全な戦後世代で、昭和の空気は半分しか吸っていないし、このテーマに沿っているせいもあって、日本を見る目がはなから未開の異民族を見る目である。
歴史というものは己を知るための研鑽であって、真実らしさを競う土俵ではない。私が昭和の謎に興味を持って深掘りするのは自分を産み落とした昭和が理解できないと一生親無し子で終わる気がするためだ。
映画では時代劇のセットに古色の汚しを入れる作業があるが、司馬遼太郎が美しく書き過ぎた明治維新から日露戦までの日本を実像で汚しを入れた半藤一利に上乗せして汚しを加えてこれこそ真実と言ってみたところで嘘とは言い切れない推測による概念的再構成であることに変わりない。だからそれぞれの歴史観があって良い。
世界史マップ
繰り返すが、歴史というものは己を知るための研鑽であって、真実らしさを競う土俵ではない。しかし2017.4.10公開のキッシンジャー・ケーブルズには、1973年から1976年にかけての170以上の米国の外交記録が含まれるという。自民党70日間の分裂抗争から田中角榮を巻き込んだロッキード事件まで、どのようにキッシンジャーは『高度に』関与したのか、やがて明らかになるだろう。立花隆がキッシンジャー・ケーブルズに沈黙しているのなら、この男の役割もこれまで以上に明確になるだろう。