『元来、東京の自慢であるたべものは、概して酒には適さない。すし、てんぷら、そば、うなぎ、おでん、いずれも酒の肴としては落第だ。おでんで飲む向きもあるが、これは他に適当な酒肴がない場合だ。まぐろの消費量の七分はすしに使うといったが、もちろんそれは夏過ぎて涼風が立ち、だんだん冬に向かうようになってからのことであって、夏のしびまぐろは、たいてい切り身となって魚屋の店頭を賑わすのである。魚河岸における一日約一千尾の大まぐろは、大部分が焼き魚、煮魚として夏場のそうざいとなるのである。もっとも冬場でも、まぐろの腹部の肉、俗に砂摺りというところが脂身であるゆえに、木目のような皮の部分が噛み切れない筋となるから、この部分は細切りして、「ねぎま」というなべものにして、寒い時分、東京人のよろこぶものである。すなわち、ねぎとまぐろの脂肪とをいっしょにして、すき焼きのように煮て食うのである。年寄りは、くどい料理としてよろこばぬが、血気壮んな者には美味いものである。』
「魯山人の食卓」グルメ文庫、角川春樹事務所
2004(平成16)年 10月18日第1刷発行
2008(平成20)年 4月18日第5刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
1993(平成5)年発行
初出:「星岡」 1930(昭和5)年
今の焼き鳥のねぎまとは別物、全く異なる違う鮪の食べ方だった。稀に出している飲食店もあるようだが、わざわざ「ねぎま鍋」と呼ぶ。すでに昭和の初期のそういう美味しいものが失われている。なぜなら江戸の酒は今の本格醸造味醂のようなものだから今の酒に江戸の食べ物は合わないのは当然の成り行きだからです。現代の酒はさらに魯山人の時代とは全くの次元の異なる別物、いわばライスワインと呼ぶべきフルーティーな大吟醸が主流であろう。これでは酒と江戸の食べ物は不幸になるばかりである。老い臭とも呼ばれる独特の酒のコクを楽しみたくともそれらは不良品扱いされている。文化の荒廃は大衆の消費傾向が創り出す。
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