公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

100年未来に起こりそうな内在的変化の予想

2021-08-19 06:52:00 | 日記
写真は清水建設の考えた海上都市開発予想図
毎日新聞や朝日新聞は解体に熱心だが、北海道は解体ありきでは検討していないようだ。

北海道百年記念塔
北海道百年記念塔(ほっかいどうひゃくねんきねんとう)は、札幌市厚別区の野幌森林公園の一角にある高さ100mの塔である。1968年(昭和43年)に北海道開道百年を記念して着工され、 1970年(昭和45年)9月 に竣工、翌年の1971年(昭和46年)4月より一般公開された。


『老朽化でさびた金属片が落下するなどし、閉鎖が続く道立野幌森林公園の北海道百年記念塔(札幌市厚別区)の存廃議論が活発になっている。地元には存続を求める声が根強い一方、多額の維持費がかかることから、解体を支持する意見もある。道は地元だけでなく、全道の道民を対象にした意識調査も行う方針だ。』北海道新聞

竣工からそろそろ50年。(再掲記事なのでもう50年を1年超えている)私が1973年の修学旅行で団体で登った時鋼板を意図的に酸化させた新工法でもっと長持ちするからと聞いていたがその説明は嘘だったんだ。厚さ4.5-6.0mmの耐候性高張鋼板と言うから、当時の戦車並み。「建立記」によれば、「かつて原始の密林を伐り拓き、厳しい風雪に耐え抜いて、本道発展の基礎を築いた多くの先人の」「偉業を長く後世に顕彰し、慰霊の誠を捧げるとともに輝く未来を創造する決意の表徴として」建てられた。とある文字を先人たちの中に親父も含まれるのかなあと感慨を持ち当時思った。


デザインはシンプルでありながらメッセージが埋め込まれている。傑作。200年に向けて同じデザインの200mの塔で覆うのはどうだろう。

森林文化会による

東京都市大学建築学科の研究チームは、全国の寺院本堂約4000件の事例を調査・解析し、伝統的な木造建築による寺院の平均使用年数(建築から解体までの年数)が235年に達することを明らかにした。これは、鉄筋コンクリート建築物の耐用年数とされる100年の2倍以上であり、木造建築物の長期間使用の可能性を示すものと考えられる。



* ** *
歴史は情報通信の発達によって加速されているように見えるが、人の心の変化には世代交代が必要であって、結局は100年かかって兆しが現実化する。

例えば、徳川政権に対する最初のイデオロギー上に足場を持った政治反旗は*1758年宝暦事件に起こり戊午の密勅が1858年に爆する。

* 宝暦事件は、江戸時代中期尊王論者が弾圧された最初の事件。首謀者と目された人物の名前から竹内式部一件(たけのうちしきぶいっけん)とも。

後三年の役1083年〜1087年の事後処理のもつれ(私訴私闘が恩賞の対象に認められぬというよりも、兵(技能者:戦士)から郎党(武装組織)に武士階層が変化した上に統領として立った八幡太郎義家が朝廷に脅威だった)が恐怖であった。そこから100年鎌倉幕府が狼煙(1185年成立; 文治の勅許は、文治元年11月28日(1185年12月21日)の北条時政による奏請に基づき、朝廷より源頼朝に対し与えられた、諸国への守護・地頭職の設置・任免を許可した勅許)をあげる。

古い秩序構造は維持しながら1185年に委任構造つまり平氏のように貴族になることなく武士階級の独自の成り上がり支配構造が全国に生まれる。国衙荘園による支配に重層する支配の誕生、これに100年かかっている。


明治百年は何が起きていたかというと、時代は70年安保闘争だったが、100年前に対応する兆しがあるわけではない。それは日本人の内在的変化の発露ではなく、外国にあった共産主義革命の暴力的輸入だったからである。内在的変化の兆しは見えにくいトンデモ事件として記録される。

問題

100年未来に起こりそうな内在的変化の予想をしてみよう。

答えの一例

1970年昭和45年11月25日の午前11時前。三島由紀夫事件の100年後。2070年頃自衛隊の名称が国防省の国防軍になる。国防に関する日本人の心の変化が米国支配下の米国依存から自主開発の自力救済に基づく構造になる。かつて教条的と思われた自衛隊が警察の後塵を拝んだ屈辱心は当然の義憤と受け入れられる。

皇紀2700年 昭和15年から100年後、2021年から4年後が昭和100年(2025年)で、昭和115年(2040年)が皇紀2700年記念行事の年。もう一度ちゃんとしたオリンピックをやろうと思います。82才で生きていれば見てみたいものです。



日本人の戦後、米英国隷属は吉田茂不遇の外交官時代の終わりに近い昭和9年1934年にニューヨークで** エドワード・マンデル・ハウス大佐にわざわざ再会することから準備されていた。

吉田の身内の同行者和子氏の回想にある歴史事実 によって始まった。吉田はヘンリー・スティムソン陸軍長官、フランク・ノックス海軍長官(1944年4月28日急死)チャールズ・ウィロビー(CIA創設者)彼らの手先として二人は動きまわった。ヘンリー・スティムソンは日本に仇すること三度。ロンドン条約後のプレス脱帽演説辱め発言、満州国不承認、日米戦争積極派。スティムソン発言の全てが日本人を敵とした破滅戦争挑発へと向かっている。

前年国際聯盟を脱退、前前年には五一五事件が起きていた。挑発されれば日本が暴発する条件は整っていた。
*****

そう遠くない未来である13年後、米国が隠蔽した挑発のほとんどが明らかになる。2034年米英国が日本の主催する経済サロンの方針に従属する。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドナルド・トランプ、2024年... | トップ | 人間は死後自分自身のメンタ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。