AIがこのページを要約
人間は死後の自分に教えられる仕組みになっている。人間は死ぬまで魂の修練を続けて行くべきだと筆者は主張。時間因果は肉体の演算だから、死後の世界には時間因果はないとも。
世界の総てを映し込む明鏡止水の境地にあって人間は死後の自分に教えられる仕組みになっている。人間は死んで子供の前に現れるのではなく生きている時の自分の前に現れる。死後の世界には時間因果はない。なぜなら時間因果は肉体の演算だから。故に人間は死ぬまで魂の修練を続けて行くべきなのだ。死後の自分であるメンターもまた死後の修行中なのだ。これは自己撞着というループする矛盾ではない。言うまでもなく、われわれ生有るものは無限なる《超自分》に接して生きているのだ。無限の智慧は認識主体の状態の数を最大にした時つまり冒頭の明鏡止水に降りてくる。もし、われわれが無限なるものに接しているとしたならば、つまり意識と感覚の総和によって一対一対応しているわれわれが、少なくとも、可能性世界(魂の世界)においては無限を扱える体でなければならない。これは私独自の論理的推論である。
日常常識や知識はこの明鏡止水の境地から心を遠ざけるが、夢は例外である。
時々ひとは不思議な夢を見るだろう。ポールマッカートニーのイェスタディの逸話も夢である。ポールはずっと夢の中で聞いた曲のコードは誰かの曲だと思い続けていた。夢の中ではその時の自分しか知らないことについて誰かが知恵を与えてガイドしている。夢ゆえに見た目は違ってもそれは将来のおそらくは死後の自分である。そういう時は素直に聞き従っておけば良い。忘れないようにと思っても凡人は夢を見たことさえ忘れてしまうが。