センゴ共和国には普通の国にあるものがない。それは元首である。三島由紀夫の美の中心には元首である天皇陛下がいる。
明治期の日本人の愛国心はどこから生じたかというと、西欧の植民地となった清国の支配目的から逆算することで日本国の独立が危ういということが明白であったということ。これが大隈重信襲撃事件となる理由だった。
黒田清隆内閣の外務大臣大隈重信は、条約改正交渉にあたり、明治22年(1889)アメリカ・ドイツ・ロシアとの間で新たな条約の締結に成功しました。しかし、外国人被告事件で大審院に外国人裁判官を任用することや重要法典を編纂・公布することを約していたことが明らかになると、国内では反対論に火がついて国論を二分する事態となりました。同年10月18日、閣議を終えた大隈外相は、外務省の門前で玄洋社員来島恒喜の投じた爆弾で左足切断の重傷を負い、条約改正交渉も中止となりました。
条約改正を急ぐ政治に対する不信が怒りとなった。
玄洋社が中心となり、あっという間に結実した大国民運動をなぜか無視強行した黒田政府の売国(最高裁に相当の大審院における外国人事件、外国人判事採用)にあった。驚くべきことに元首だった明治天皇は黒田政府に改正条約を急がせた本人である。大隈に対する爆弾テロの印象が大きすぎて、この時の日本の危機の構図は忘れられている。国民
愛国心の民意が元首の拙速さえも掣肘できたのが明治の愛国心だったということ。色川大吉はこの大隈条約改正が阻止されていなければ、日本は
植民地になっていただろうと言っていた。人知れず老境の
勝海舟も来島の行動を顕彰している。
来島の行動の後の自制その場の自決、前衛であることとはこういうことを言う。三島由紀夫は楯の会が日本の前衛でありたいと望みながら、頼みにする相手とタイミングとを間違えていた。センゴ共和国内に反乱軍が決起するなど、無いものを期待する美意識過剰の過ちを彼は犯した。それほど
センゴ共和国は偽善に満ちていた。若者たちは矛盾に革命と国家の廃絶いう活路を見出して反乱を夢見ていた。全共闘と三島由紀夫との同床異夢は著しい。若者たちはすぐに夢から醒めて就職し、それから15年後その若者たちがバブル経済の日本を導く。
この国は醜く始まった。そしてより醜く成長して民族の記憶を失いつつある。センゴ共和国は日本人の醜い妥協と敗北の再認証を続けるための永久化装置であり続ける。
大江健三郎は永久敗北の共和国の申し子だった。今も左翼はありもしないセンゴ共和国の未来を占ったシャーマンとして大江健三郎を崇拝している。彼がノーベル賞で三島由紀夫を超えた存在と信じている。
三島由紀夫こそが日本人の前衛であったと思う。しかし彼には前衛と美の区別がなかった。これが大きな欠陥であったと思う。
1945年 戦後という妙な、戦争がないことに寄り添う共同体が日本の代わりに生まれた。私は敢えて、誰もが官僚・政治家になることによって自己実現できるという幻想の国、センゴ共和国と呼ぶが、それが冷戦時代固有の共同の社会価値「戦争忌避」という幻想、人工的「共同体」、核兵器とマネーによって國體に移植された新しい身体「9条」『みんな』の平和への絶対的服従がエリートの間に育った。戦争は国民の期待を裏切り、国民を傷つけたが、当時の日本人はむしろ経済成長が期待を裏切らない国是の代替であることに嬉々としていた。