公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

[牧師?]bishopの言い訳

2018-09-03 06:57:13 | 意見スクラップ集

“Maybe I crossed the border, maybe I was too friendly or familiar but again, I apologize.” The bishop at Aretha Franklin's memorial issued an apology after his on-stage interaction with Ariana Grande sparked backlash.


これが‘ある種の正義’の姿であることを目撃者は記憶すべき。bishopと言えば、メディアが伝えるような単なる牧師ではない。司教(主教あるいは監督)と呼ばれる立場である。

正義とは不適切が許される特権の詰まったケーキのようなものである。切ってみなければ、外側からはわからない。


どんなに表面が美しい大義で装飾されていても、切ってみるまでは中身はわからない。スピーチ台にはOne Lord, One Faithと書かれている。もちろんOne Lord, One Faith, One Baptism アネサ・フランクリンからとっているが、意味は1つの主、1つの信仰、1つの洗礼(転じてバプテスマは一つという正義原理になる)である。ケンブリッジには、ソ連のリクルーターがいた。学歴という洗礼もまた正義原理の入り口である。
なんと皮肉なことでしょう。Think 不適切が許される特権の詰まったケーキのために罪のない人々が踏み台にされていることを。


Pope Francis on Saturday issued a call to action against pollution, describing the state of ocean littering as an “emergency,” while the church’s sex abuse scandal intensifies.



Cindy McCain lays her head on the casket of her husband John McCain during a burial service at the cemetery at the United States Naval Academy (AFP Photo/David Hume Kennerly)

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