公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

天皇オワコン

2017-09-27 19:05:00 | 皇室関連
こんな参拝を内心の赴くままにするようじゃ天皇もオワコン。内心の自由を認めないから神官の頂点天皇、スメラミコトであるのに、内心の自由が普通の日本人と同じならば、神官の頂点の資格はない。日本国に生を受けた累々たる神民の縁を受け止めるための徳の器、すなわち生ける人柱がスメラミコトの覚悟である。このままの明仁天皇では退位後クリスチャン信仰を告白してローマ教皇の洗礼を受けても良いことになる。そんなことは許されるはずもない。天皇にヒラ国民と同じ人権などない。個人の内心の自由を行使するお覚悟であるならば、職業選択の自由も与えるから、国庫に財産を全部返納してゼロからの国民に帰しても良い。憲法解釈上、犯罪を犯しても逮捕も訴追もされない天皇が、内心の自由を盾にスメラミコトの義務を儀礼化してしまえば、究極の極道にさえなり得る。そういう陥穽を憲法と皇室典範は本質に抱えている。


『 天皇、皇后両陛下は20日、私的旅行のため埼玉県日高市を訪問された。7世紀に朝鮮半島の高句麗から日本に渡った王族をまつる高麗神社を参拝。近くにある宮司の住まいだった国の重要文化財「高麗家住宅」を見学し、天皇陛下は「いろんなことがよく残っていますね」と話されていた。

 同市では全国有数のヒガンバナの群生地「巾着田曼珠沙華(まんじゅしゃげ)公園」も訪問。鮮やかな赤に染まって見ごろを迎えたヒガンバナの中を散策された。

 日程は1泊2日で、21日には同県深谷市で「日本近代資本主義の父」といわれる渋沢栄一ゆかりの地を訪ねられる。』



『「これはまじめに言うんだけれども、たとえば安田講堂で全学連の諸君がたてこもった時に、天皇という言葉を一言彼等が言えば、私は喜んで一緒にとじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う。(笑)これは私はふざけて言っているんじゃない。常々言っていることである。なぜなら、終戦前の昭和初年における天皇親政というものと、現在いわれている直接民主主義というものにはほとんど政治概念上の区別がないのです。これは非常に空疎な政治概念だが、その中には一つの共通要素がある。その共通要素は何かというと、国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結するということを夢見ている。この夢見ていることは一度もかなえられなかったから、戦前のクーデターはみな失敗した。しかしながら、これには天皇という二字が戦前ついていた。それがいまはつかないのは、つけてもしようがないと諸君は思っているだけで、これがついて、日本の底辺の民衆にどういう影響を与えるかということを一度でも考えたことがあるか。これは、本当に諸君が心の底から考えれば、くっついてこなければならぬと私は信じている。それがくっついた時には、成功しないものも成功するかもしれないのだ。」(三島由紀夫・東大全学共闘会議駒場共闘焚祭委員会、『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』、新潮社、1969年、64~65頁)』

神民である日本人の自覚を三島は言っているのだ、歴史的現在形、と思う。皇統と天皇が共にポンコツでは三島由紀夫も浮かばれない。




個人的には偉い 人と思う。


ファン・ボイ・チャウ記念館を訪れ、慰霊碑前で説明を受けられる天皇、皇后両陛下=4日午後、ベトナム・フエ(代表撮影)
 【フエ=伊藤弘一郎】ベトナムを訪問中の天皇、皇后両陛下は4日、フランス占領下で独立運動を担い、日本で近代化を学ぶことをベトナムの青年に勧めたファン・ボイ・チャウの記念館を視察された。これに先立ち、最後の王朝「阮(グエン)朝」(1802~1945年)の王宮を訪問された。

 記念館の敷地には、チャウの墓や、チャウが晩年を過ごした家を再現した邸宅がある。両陛下はチャウの墓の前で頭を下げた後、机とベッドのみの簡素なチャウの邸宅をご覧になった。記念館ではチャウの孫、ファン・ティエウ・カットさん(72)とも面会され、天皇陛下は「ベトナムの独立に関わった日本との関係を伝えていくことは大変、喜ばしいことと思っております」と話された。

 王宮では、民族衣装のアオザイを身にまとった女性の出迎えを受け、数々の戦争後も残った正門「午門」を通って正殿「太和殿」をご見学。陛下は「ここは木造ですか。よく残りましたね」と感心されていた。

 続いて劇場「閲是堂」で宮廷音楽「ニャーニャック」を観賞された。民族衣装を着た若者の舞いとともに約8分の優雅な演奏が終わると、両陛下は大きな拍手を送られていた。





戦後になって皇居に1個体が飛来したときは、昭和天皇が観察を行っている。昭和天皇は皇居の庭に降り立ったヤツガシラを見るため、双眼鏡を持ってくるよう侍従に命じたが、サトイモの一品種であるヤツガシラと勘違いした侍従は「お芋を見るのに双眼鏡が何故いるのですか」と聞き返したという。生物学者としての一面を兼ね備えた昭和天皇らしいエピソードである。その後、香淳皇后がその絵を描いている。

ソロモン王の伝説に登場するヤツガシラ、シバの女王との出会いを導く。

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