公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

騙すことで理解され、正直を話し、誤解され

2010-09-03 16:44:34 | マキャヴェッリ
 騙し能力と騙しを見破る能力はともに進化すると言っているのは、70年代の心理学者の間ではやったことらしいが、私は『リチャード・バーン, アンドリュー・ホワイトゥン編著, 『マキャベリ的知性と心の理論の進化論――ヒトはなぜ賢くなったか』 を読んだことはない。

 言葉という道具はお互いの誤解によって成り立っているというのが、私の考えの基本である。リアリティ自体が空虚な便宜なのだから、言葉によるコミュニケーションは意味の厳密さよりもコミュニケーションの効果が重要となる。相手の動きを止めたければ、「止まれ」よりも効果の高い言葉があるように、騙す意図は無くても”騙し”てしまうのがコミュニケーションの効果だ。
 リアリティとそのコミュニケーションに由来する意味反映作用(解釈)は別ものであることを深く意識していれば、ヒトがなぜ賢くなったかという謎が解ける。


先のテストの答えは、こうなる。
******* ********
手を横に振って返事を返してみる。
異形の相手は、川の向こうで凍りつく。
川向こうの習慣では横に振るのは嘲笑と決まってる。
川向こうの見知らぬ相手はもっと激しく振って応酬する。
こちらは、それが敵意の無い印に見え、更に歯を剥き出して横に振る。

川向こうの見知らぬ相手は、訝しく思い、今度は別の解釈を探してみる。嘲笑以外の可能性が発見される。

これが言葉であっても同じことで、意味であっても無くても、意味はあとからやってくる。

 従って言葉の本質からして騙しと理解は紙一重であり、言葉が遷移することは理解が深まることでもあり、誤解が増えることでもある。騙すということを軽々しく言うことは出来ない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ホーキング博士 | トップ | 先達は論を待たず »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。