公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

先達は論を待たず

2010-09-05 09:57:14 | 日記
 國の指導者を選ぶ大事に理屈をこねて、いちいち任意の国民があれよこれよと裁くのは近代社会の代議制の退廃と考える。なぜなら、指導者とは他者の論を待つ立場ではないからだ。最低限の選挙を経ていれば、資格は十分にある。ましてや二階に玄関を設けるようなインチキ屋敷で最終結論を出すことを民意とするなど許されるはずがない。
 代議制の退廃には、必要な事を考えない劣化もあれば、評論限界を知らず、考えるべきでないことを詮索評論する劣化もある。先達は論を待たず。ただ行動するべき。

 論は國の選択肢が無制限にあると仮定するときに後世の学者が暇に任せてする事である。 論は歴史に任せると割り切るのが為政であって、昨今みかける毎日支持率グラフを追いかけることが評論ではない。ましてや巷間の風聞を引用して評論とは電波芸者の怠惰な三味線芸にも我慢の仕様にもほどがあるというもの。
 事実、どのような選択肢があるのかどうかは誰も知ることが出来ない。選択肢は指導者の頭脳のリアリティという制限の中で生じる事である。
 以前から述べているようにリアリティは事実を再構成する便宜であって、実在ではない。健全な民主社会ならば指導者の頭のなかの便宜すなわちリアリティに國を委ねているのであって、いちいち任意の国民が実現性を裁く筋合いの分限ではない。もちろん自分の頭脳を使用した形跡のない指導者は論外だが。
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