その
動機は他人には計れるものではない。
「私たちは、ただ一緒にいた。一緒にいることが、何よりも大切なのであった。何故なら、私たちの別れは遠くないからである。」「慶子は、無言で語っていた。あらゆることにかかわらず、自分が幸せだったということを。告知せずにいたことを含めて、私のすべてを赦すということを。……その無言の会話が、いったい何分、いや何十分つづいたのか、私は覚えていない。そこには不思議に涙はなく、限りなく深い充足感だけがあった。」p78 江藤淳『妻と私』
ただ
自分も同じ年齢になり、自死するほどの絶望は持ち合わせてはいない。70年代に「三島由紀夫は軍隊ごっこ」、過激さを増していた新左翼に対しては「革命ごっこ」。そう言ってメディアの好意的論調に憚らなかった気骨ある国士と勝手に思っていた。
がしかし
絶望に免疫はなかったようだ。
思うに
人には、もう二度と乗る事のできないバスに乗り遅れた時のような、小さな絶望を何度も経験することが成熟には必要なのです。
江藤淳に教えられたのは、言葉を奪われた痛覚と病識をもてということだ。
今をみれば
確かに流通する文化に浮かぶ文字はやけに同調していて、公平だの、包括だの、多様だの、浮き草のごとき言葉ばかりだ。
本名は
江頭だったんだね。
旧制湘南中学で石原慎太郎の一級下ということは知らなかった。
二人は
生涯友人だったらしい。
江藤 淳(えとう じゅん、1932年〈昭和7年〉[注釈 1]12月25日 - 1999年〈平成11年〉7月21日[1])は、日本の文芸評論家。東京工業大学、慶應義塾大学教授を歴任。学位は、文学博士(慶應義塾大学)。日本芸術院会員。本名:江頭 淳夫(えがしら あつお)、身長160センチ[2]。
学生時代に発表した『夏目漱石』(1956年)で注目され、『作家は行動する』(1959年)、『小林秀雄』(1960年)で文芸評論家としての地位を確立。『アメリカと私』(1965年)など文明批評も多い
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現代人が陥っている自己分裂という病をことさらに難病にしている二元的帰属方法があるからだ。江藤淳も重ね合わせを採用するべきだった。
X軸は善と悪
Y軸はsollenとsein
これゆえに精神は自ずから四つに分解している。
①善とsollen からなる精神
②善とsein からなる精神
③悪とsollen からなる精神
④悪とsein からなる精神
麦に火を放てとは②神は言わない。①信仰の場合、精神とは本来sollenとseinとの重ね合わせである。③sollenに支配された悪の行いは④seinとしての悪(つまりロシア)よりはマシという考えは、二元的帰属法という人間の病の所産である。
世の中には善と悪があるが、、sollenとsein はその人の選択肢ということになっている。そういう哲学自身がもうすでに病である。
sollenとseinを重ね合わせて演算することができない頭脳はもはや幼稚な機械である。自己分裂は社会的現象ではない。単なる脳の疲労または退化である。