教科用図書検定規則第7条第3項に示す特定行為
検定結果公表前に申請図書等の内容を公表することその他検定結果公表前における当該申請図書等の情報の管理が不適切であること(規則第12条第1項の規定による再申請がなされた場合にあっては、検定審査不合格となった図書の内容であって当該再申請がなされた申請図書に同様の内容が記載されているものについて、その内容に係る検定審査の結果の是非に関する議論を惹起させる行為その他これに類する行為を行うことにより、当該行為の態様に照らして当該再申請がなされた申請図書の情報の管理が不適切であったのと同様の事態を生じさせたと認められる場合を含む。)により、検定審査(当該申請図書以外の申請図書に係る検定審査を含む。)に重大な影響を及ぼしたと認められる行為をいう。
歴史は後裔によって作られた。今もそれは続く。天皇記・国記は燃やされた。
検定結果公表前に申請図書等の内容を公表することその他検定結果公表前における当該申請図書等の情報の管理が不適切であること(規則第12条第1項の規定による再申請がなされた場合にあっては、検定審査不合格となった図書の内容であって当該再申請がなされた申請図書に同様の内容が記載されているものについて、その内容に係る検定審査の結果の是非に関する議論を惹起させる行為その他これに類する行為を行うことにより、当該行為の態様に照らして当該再申請がなされた申請図書の情報の管理が不適切であったのと同様の事態を生じさせたと認められる場合を含む。)により、検定審査(当該申請図書以外の申請図書に係る検定審査を含む。)に重大な影響を及ぼしたと認められる行為をいう。
ラーメンはいいが、太陽光はやめてほしい。朝堂院と変わらない。
国民としての自覚心を振作する方法は勿論多々有るが、就中国史の回顧に依るは、其の最も根本的のものであり、且つ其の効果も亦最も著大である。抑〻我が皇国の歴史は、之を一言に要約すれば、皇室を中心としたる我等国民の建国以来健全なる進歩発達繁栄を成し来りたる歴史であると謂ふ可きである。是れ実に世界万国の歴史中特殊無比にして且つ最も光輝有るものである。而して此の光輝有る国史の成迹を回顧するについて最も根本的のものは、我が古典の研究に依る国史の回顧である。蓋し古典の研究は、皇国史の源頭即ち我が皇室、国家、民族の起原発達の源頭を明かにし、且つ我が國體を闡明するの基礎たるものであるから、古典の研究に依る国史の回顧は、国民的自覚心を振作し国民精神を倍加激励する上に根本的重要性を有するものである
歴史は後裔によって作られた。今もそれは続く。天皇記・国記は燃やされた。
この「天皇記・国記」は、推古二十八年(六二〇)に蘇我馬子と厩戸王子が録したとある国史のことであるとされている。船恵尺が、焼かれている国記を取り出して葛城王子に献上したとあるが、これが史実であったとしても、後年に完成した『日本書紀』との関連は、明らかではない。
ただ、馬子や蘇我系の厩戸王子によって撰修されていた国史が、蘇我氏を中心としたものであったであろうことは言うまでもないし、それが廃棄されて、今度は藤原氏中心の国史が『日本書紀』として完成されたであろうことを考え併せると、まさに「歴史は勝者によって作られる」という金言を象徴する出来事であった。
この後、『藤氏家伝』には葛城王子と鎌子の言葉が記されている。まず葛城王子が、「絶えようとしていた綱紀を振興し、衰頽していた国運を復興したのは、実に公(鎌子)の力によるものである」と、その功業を賞揚すると、鎌子がそれに応えて、「功が成ったのは葛城王子のおかげであって、臣(鎌子)の功績ではない」と、謙譲の美徳を示している。もちろんこれは、中国古代の『史記』甘茂伝や『戦国策』秦策を基にした作文であるが、『藤氏家伝』という書の主張を表わすものでもある。
ともあれこのクーデターの成功によって、神祇を管掌する中臣氏の鎌子は、単なる宗教官人から脱皮し、国家の中枢へと、その歩みを始めた。鎌足という名も、それと軌を一にして称し始めたのであろう(葛城王子もこの頃から、「中大兄王子」と称されたはずである)。