私有財産権の確立という意味では近代に先行する封建制度というものの登場が重要である。梅棹忠夫の1950年代の考察の方が優れている。『文明の生態史観』 梅棹忠夫『このようみてきますと、この種の知識人、すなわち、為政者の意識を持ちながら、しかも為政者から分離し、ある場合には為政者に対立的でさえある知識人の層というものは、やはり、高度産業社会の展開にともなって展開してきたもので、その点では、日本やフランス」、ドイツなどの、わたしのいう第一地域の特徴をなすものであるとみることはできないでしょうか。』20年近く先行している。ノーベル経済学賞に値するのは梅棹忠夫のほうである。
インド人のいるところはインドであると思うべき。インド人の難しいところをよく知るのは英国であろう。日英経済交渉が長引きそうだが。
侵食される地方はさておき、国際関係を論じる時に梅棹忠夫の功績は役に立つ。当時1950年代後半の梅棹忠夫の試みは、当時日本語には歴史観という用語しかなかったから、書籍タイトルの限界があるが、中味は社会システム論である。世界には地政学的条件に適した社会システムが歴史的に存在する。日英が似ているのは決してランドパワーに降伏しないという歴史がつくりだした側面であり、その国家自覚が英国のシーパワーである。日英の国家自覚が似ていない側面は、この自覚とシーパワー成立までの歴史的順序である。したがって明治以降日本が英国を真似ているうちは非常に上手くいっていた。
不幸にも米国との交戦よりも先に英国との交戦が始まった歴史があるが、
侵食される地方はさておき、国際関係を論じる時に梅棹忠夫の功績は役に立つ。当時1950年代後半の梅棹忠夫の試みは、当時日本語には歴史観という用語しかなかったから、書籍タイトルの限界があるが、中味は社会システム論である。世界には地政学的条件に適した社会システムが歴史的に存在する。日英が似ているのは決してランドパワーに降伏しないという歴史がつくりだした側面であり、その国家自覚が英国のシーパワーである。日英の国家自覚が似ていない側面は、この自覚とシーパワー成立までの歴史的順序である。したがって明治以降日本が英国を真似ているうちは非常に上手くいっていた。
不幸にも米国との交戦よりも先に英国との交戦が始まった歴史があるが、
対立的為政者意識だけが残ってしまった全共闘世代が実質引退しなければ低成長社会の制度はいつまでも設計できないだろう。
こういう後戻りできない袋小路に入った社会制度、帝国主義がたまたま有利に働いた歴史期間を結果解釈してもしょうがない。何十年経っても社会制度エンジニアリングに貢献できない左翼学問には生き残る価値がない。むしろ有害である。まず梅棹忠夫の社会システム論に学ぶべきだ。その上で制度を論じよう。国もなく私有財産だけがあるどこかの民族とは日本人は違うのだ。