ソクラテスに対する訴状の内容「青年を腐敗させ、国家の信じる神々を信じず、新しき神霊(ダイモニヤ)を信じる」ダイモニアとはデーモン、ソクラテスがダイモニオンと呼ぶそれは、第三の直感に相当するものです。ニーチェはアポロン的、顕、ハレの論理に先行するディオニソス的、冥、ケの論理があったことを指摘してもソクラテスを葬ることができなかった。なぜならニーチェはそれによって人格的ダイモニオンを避けられず、ますますソクラテスに似て行くからだった。
日本人はこのような議論に距離を置いてみるべきだろう。アポロン的論理や価値ディオニソス的論理や価値を輸入しなくても、日本人には日常の冥と非日常の顕が自然の再生や伝統の継承に伴っていた。そればかりでなく第三の直感という情緒による賢慮が実践できていた。ソクラテスをニーチェ的に発見せずとも、普通の農民こそソクラテスと同じ哲学者だった。水田を発明し(稲作と水田は区別されるべき技術、コメの種類も中国のコメは日本では相手にされないのコメだった)、縄文時代に焼き物を発明し誰にも知られず発酵技術を発明した日本人の祖先は本を残していないが情緒によって賢慮を尽くすためにダイモニオンの声を聞いていた。
日本人はその声を忘れてはいけない。古すぎて思い出せなくとも忘れてはいないダイモニオンの声を。賢慮は否定されない。
「人間の死は必要のないときに死を決して置く。左すれば我慾というものが絶える。」杉山茂丸
その声は死の森の声である。賢慮を確証したければ、日本人は死の森に身を置くべし。そのように古人は教えている。大円鏡智(生)、修行平等性智(老)、菩薩如観察智(死)、涅槃成行作智(病)、法界体性智(苦)の「生老死病苦」という仏教的摂理によって整理されているようでいて、実は日本人には日常の冥(ケ)と非日常の顕(ハレ)の行事が否定されずに永続している。日本人の古人は人格的中心を信教に置かないという知恵を持っていた。なぜなら人格は死とともに消滅し思い出すことができなくなるからだ。釈迦は中心人物でないから古人は咀嚼できた。
日本人はこのような議論に距離を置いてみるべきだろう。アポロン的論理や価値ディオニソス的論理や価値を輸入しなくても、日本人には日常の冥と非日常の顕が自然の再生や伝統の継承に伴っていた。そればかりでなく第三の直感という情緒による賢慮が実践できていた。ソクラテスをニーチェ的に発見せずとも、普通の農民こそソクラテスと同じ哲学者だった。水田を発明し(稲作と水田は区別されるべき技術、コメの種類も中国のコメは日本では相手にされないのコメだった)、縄文時代に焼き物を発明し誰にも知られず発酵技術を発明した日本人の祖先は本を残していないが情緒によって賢慮を尽くすためにダイモニオンの声を聞いていた。
日本人はその声を忘れてはいけない。古すぎて思い出せなくとも忘れてはいないダイモニオンの声を。賢慮は否定されない。
「人間の死は必要のないときに死を決して置く。左すれば我慾というものが絶える。」杉山茂丸
その声は死の森の声である。賢慮を確証したければ、日本人は死の森に身を置くべし。そのように古人は教えている。大円鏡智(生)、修行平等性智(老)、菩薩如観察智(死)、涅槃成行作智(病)、法界体性智(苦)の「生老死病苦」という仏教的摂理によって整理されているようでいて、実は日本人には日常の冥(ケ)と非日常の顕(ハレ)の行事が否定されずに永続している。日本人の古人は人格的中心を信教に置かないという知恵を持っていた。なぜなら人格は死とともに消滅し思い出すことができなくなるからだ。釈迦は中心人物でないから古人は咀嚼できた。