公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

夢の代償

2010-05-26 22:05:24 | 日記
「重要なことは、ヨーロッパの社会主義が、一九一四年八月の砲声と同時に、社会主義大衆がプロレタリアの団結を捨てて、ナショナリズムに燃えて殺し合いの道をえらんだときに潰えたという事実だった。それは、神学としてのマルクス社会主義の死滅ではなかった。神学は信条が消えた後も生き残る。それは政治勢力としての社会主義の死滅でもなかった。それは夢としての社会主義の終焉だった。少なくとも、当時の若者という一つ世代にとっての夢の終焉だった。」
   ドラッカー『傍観者の時代』p.121 1979年 ダイヤモンド社

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 夢の代償は大きかった。乱暴な方法ではあったが、早く夢のはかなさなに気づいた分、ヨーロッパはまだ幸せだった。社会主義の歪んだ理想を実質的に実現したのは日本だったかもしれない。170万人の公務員と補助金によって生計をたてる準公務員、一等国民へ配分のために二等国民と企業が税金を納める。週に1日働く程度でも一等国民は堂々と給与と退職金をもらう。
 大蔵官僚が銀行を組敷くことで国営企業化を経ない社会主義の新しい形を発明し、足りない予算は企業や家計の剰余価値は預貯金を国債購入からあてられる。今日まで続くその夢の代償はあまりに大きく、虎ノ門界隈はいまだ醒めていない、正しい事をしていると信じて疑わない人々がまだ形を変えて生存している。事業仕分けでほんの少し蓋を開けただけで漂ってくる、神学でも信条でもない腐った夢の臭気を吸って今日も二等国民は汗を流す。
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