竹島の犠牲者について日本人は知るべき。憲法で完全に武装解除されていた状態で起こったことである。つまり憲法九条が示す理想が本当に実現していた左翼の言う理想状態のとき、隣国は反撃してこないことを良いことに、この時とばかりにこういう無法、非人道行為に及び日本人の版籍(国土と国民)を強奪するのです。
《日韓が領有権を主張している竹島。韓国は、竹島の領有権を固めようと、過去に約4000人の日本人を不法に抑留し、そのうち8人を死亡させている。事の始まりは「李承晩ライン」だ。1952年に韓国の李承晩大統領が宣言した境界線で、この境界線を越えたとして日本漁船の拿捕を続けたのだ。抑留された漁師は「地獄」を味わったという――。
(防衛省は、南西地域に配備する陸上自衛隊の地対艦誘導ミサイル(SSM)を改良し、射程を現在の約2倍に延伸する検討に入った。艦艇の能力増強を図る中国軍への対処能力と抑止力を高める狙いがある。改良した同型のミサイルを海上自衛隊の哨戒機にも搭載し、空対艦ミサイルとしても活用する。複数の政府関係者が4月28日、明らかにした。 射程を延伸するのは最新鋭の12式SSM。現在は射程200キロ程度だが、最大400キロ程度にまで伸ばす。令和5(2023)年度に部隊配備する。)
《昭和31(1956)年4月18日、浜田港を拠点としていた第6浜富丸が拿捕された。4月28日付けの「石見タイムズ」は「韓国抑留船員56名に」として浜田港所属の拿捕された船5隻、抑留船員総数56名について報じている。拿捕された船は、昭和29(1954)年11月9日に拿捕された第1大和丸、第2大和丸(この2隻は浜田港を拠点に出漁していたが、本来は島根半島の美保関町稲積地区の住民によって構成された船団であることを藤井賢二氏が論文で触れられている)、同年11月20日の第3平安丸、前述の第1八束丸と今回の第6浜富丸である。なお、「石見タイムス」は同じ紙面でこうした緊迫した状況が続いている背景には当時展開されていた日本人の在韓私有財産の所有権をめぐる対立があると論説で分析している。
同年5月19日付けでは平安丸乗組員石田儀一郎さんが、収容所から石見タイムズに送った手紙全文を「この世の地獄一日一日と弱る体力」のタイトルで掲載している。主な内容は、「韓国漁業資源保護法違反」という罪名で拿捕され、裁判所で船長1年、機関長、甲板長10ヶ月、甲板員8ヶ月の判決を宣告されたがすでに2年が経つのに釈放されず、一日も早い帰国を故郷や家族のことを想いつつ待ちわびている。コンクリートづくりの収容所は冬は零下15度にもなり、膚を裂く寒さで、夏は狭い監房の中で暑さに喘いでいる。私たちの苦しみを貴紙を通じて世論に訴えて欲しいというもので、石田さんのご両親、奥さん、3人の子供さんの集合写真も添えられている。浜田港関係の抑留者の帰国が実現するのは、昭和33(1958)年1月以降である。》Web竹島問題研究所
「朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ、其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」この昭和天皇のラジオ放送の四國の中に朝鮮 韓国は明確に入っていない。戦後李承晩のやった侵略行為は全て確信的不法行為だった。