公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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切り取りダイジェスト 2021/12/18 昭和天皇の時代 名誉勝者であった日本

2021-12-18 19:46:20 | 意見スクラップ集

私は昭和天皇の時代、残された皇室資産は日本の復興のために使われたと信じる。M資金もその一部であろう。今皇室の維持が議論されているが、日本の敗戦は昭和天皇の死によって決定的になったと考えている。歴史を客観的にみて、日本は戦争を継続できなくなり将兵は復員したが、この戦争大義実現のレヴェルで連合国に勝っている。戦争に負けたのはポツダム宣言受諾から降伏調印で戦争が終わった日本軍であり、インドネシア、インド、ビルマ、支那(台湾)、太平洋諸島では民族独立戦争は継続し、欧米の植民地時代の継続を断絶した。これができたのは昭和天皇がいたからにほかならない。連合国は昭和天皇を処刑することができなかった。より正確には彼らにはその資格さえなかったのである。彼らは東京裁判という芝居でごまかし続けているが昭和天皇は政治家ではないがアジアの偉大な政治だった。昭和天皇は銀行家ではないがアジアの偉大な銀行だった。宗教家ではないがアジアの偉大な指導者として尊崇を集めていた。政治と経済と尊崇の次元において日本は昭和天皇がご存命の限り戦争大義実現のレヴェルで連合国に勝ち、名誉勝者であった。


「皇室はこれらの資産の大半を失ったが、SCAPの厳しい監査の目をのがれて、残された資産もいくらかあったようである。敗戦の濃くなった1943年、44年、専門家の助言に従って、海外の仲介人を通じ、日独伊枢軸国に好意的だったスイスやアルゼンチンのようなラテンアメリカ諸国の銀行に資産を移されたとも言われる。1948年7月19日付のSCAPの報告書には、『日本の公的、私的財産は共にSCAPの十分監視の行き届かないラテンアメリカ諸国に流出した』とある。」こう言う記載もある。エドワード・ベア『裕仁天皇』より


 

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