湯島聖堂は関東大震災の時に消失しているが、ある人物が中心になって再建された。
服部宇之吉 日本人で初めて進士になった(清朝)人物
『荀子は性惡説で名高いが、孟子の所謂性と荀子の所謂性とは其の對象が違ふことを知らねばならぬ。一體支那には古來性といふ文字の意味が一樣ではない、天地之性などといつて天地之生即ち天地の生ずるところのものといふ意味に用ゐる外、天地の生じたるもの殊に人に就いてその動物的本能を性といふかと思ふと、又その道徳的本能をも性といつてある。故に書經に節性といふ語が有ると、詩經に彌性といふ語が有る。孟子は性善を主張したが、明に動物的本能の性たることを認め而して君子は之を性といはずといつて居る、他の語で云ふと、倫理なり教育なり政治なり、凡そ人の道即ち君子の道を論ずるには動物的本能を措いて道徳的本能を性として立論することを言明したものである。荀子は之に反して動物的本能を性として論を立てた、故に性惡論となつた。』
荀子外題「荀子」漢文叢書、有朋堂書店 1923(大正12)年8月18日発行
性善と性悪の立論は意味の無い空論である。伝統的に日本人は支那の性を美化しすぎている。美化の極限が湯島聖堂である。支那人が分派を作る動機は真実の探求ではなく食うためである。間違った疑問に正しい答えを嵌め込む罪の典型のようなもの。日本の文化文明が進化したのは支那との関係を絶っている時というのは倉山満氏のご意見だ。この点は私と意見が一致する。