当時の担任は、暴力で一番荒れてる私立高校**に俺が特待生推薦してやるから、自分の希望した進学校を受けるのをやめろと持ちかけてきた。それは公立私立両方受けてみろという常識的な話でもなかった。私立に無償待遇進学一本という話だ。
人生で忘れられない理不尽で不愉快な経験だった。そんな権利は一介の教諭にはないはずだ。
そればかりでなく全くオリジナルで自分の力で書いた卒業式送辞、在校生が卒業生に贈る言葉送辞を2年の後期の生徒会長として、全校生徒父兄教諭一堂の前で読んだ時は、これは誰かの手を入れてもらったか代筆なのかと担任に疑われたこともまた不愉快な経験だった。
生徒会長もやりたくてやってたわけではない。しかし職員室の評判はすこぶる良かった。
数多くの作文コンクール入賞や生徒会は、この担任で国語教諭に強要されての出馬だった。おかげで地元の有力者家族にまで貧乏人の息子がと身分不相応と私の家族は近所で中傷されていた。
同世代の山口百恵さんは商業高校を希望していた。
無料待遇の私立進学について親にも相談せず(親にお前らの稼ぎが少ないから先生に従って決めたと相談できるはずもない)即断で、もちろんその場で断った。断って正解だったのだ。おかげで友人に出会い人生がひらけた。
ちなみにその私立学校はその後、1975年の高校一年から二年の春に労使に暴力事件が起き、関係が荒れ過ぎて授業が止まりついに廃校になった。
は中学の同級生。
1973年3月 品川中学卒業の二人
うちの高校は僻地検討枠だって