ソロスの言う<開かれた社会>とはなんだろうか。彼が思想家と投資家そして経済理論家であろうとすることに常に出てくるのが、<開かれた社会>だ。彼が理想と考える人間社会の誤謬と不確実な本質を理解した上での<理不尽な操作>に支配されない社会の実現は大変に困難に見える。
ただソロスが注目されるのは予想どおりにグローバル資本主義(資本の過剰な流動性を前提とした国民国家の破壊)は矛盾を深めて協調から強者の裨益に変わってしまったことを暴いたことだ。そのいい例がユーロ圏経済の失敗、ギリシャ危機の先送りからウクライナ問題までの混乱だろう。欧州に限らず国境を超えて資本が自由に移動する(金融規制の撤廃)社会(社会群)がよりダイナミックな価値創造をもたらすだろうという作られた信念は世界のトレンドだった。
だが、それが何をもたらしたかは、リーマンショック以降の有り様を見れば明らかだ。それ故にソロスの言葉は重く見える。
しかしその中心は空っぽのままに放置されている。ソロスの言う知識の再帰性によれば、<理不尽な操作>に支配されない社会を目指した途端に新たな<理不尽な操作2>が始まる。それが人間に避けられない誤謬ならば、<理不尽な操作1>をより誤謬の少ない<理不尽な操作2>に少しずつ置き換えてゆけば、理想に漸近するとソロスは示唆しているだけで、目指すところは空っぽのままだ。それはソフトなファシズムさえ許容する社会だろう。
前にも述べたが、石油エネルギー資源というファクターに支配されている限り、世界は強奪社会とファシズムの再来を避ける事はできない。ロシアからウクライナを強奪しようとしたNATOとEUは作戦を完了する前にロシアにクリミアを強奪された。このチェスボードはプーチンが有利に駒をおいている。西欧列強と言っていつも名の出る米国、英国、フランス、ドイツは経済封鎖という自分たちの首を締める選択しか無い。ここでも国境を超える投資(列強にはウクライナの発展のための圏内化と言われている)が善であるとするグローバル資本主義は強者の裨益を丸出しにしてしまった。
ソロスは結局強奪社会を許容している。これも私と同じ結論だ。好き嫌いではなく、善悪ではなく、許容せざる得ない世界の扉が開いてしまったのだから。
ただソロスが注目されるのは予想どおりにグローバル資本主義(資本の過剰な流動性を前提とした国民国家の破壊)は矛盾を深めて協調から強者の裨益に変わってしまったことを暴いたことだ。そのいい例がユーロ圏経済の失敗、ギリシャ危機の先送りからウクライナ問題までの混乱だろう。欧州に限らず国境を超えて資本が自由に移動する(金融規制の撤廃)社会(社会群)がよりダイナミックな価値創造をもたらすだろうという作られた信念は世界のトレンドだった。
だが、それが何をもたらしたかは、リーマンショック以降の有り様を見れば明らかだ。それ故にソロスの言葉は重く見える。
しかしその中心は空っぽのままに放置されている。ソロスの言う知識の再帰性によれば、<理不尽な操作>に支配されない社会を目指した途端に新たな<理不尽な操作2>が始まる。それが人間に避けられない誤謬ならば、<理不尽な操作1>をより誤謬の少ない<理不尽な操作2>に少しずつ置き換えてゆけば、理想に漸近するとソロスは示唆しているだけで、目指すところは空っぽのままだ。それはソフトなファシズムさえ許容する社会だろう。
前にも述べたが、石油エネルギー資源というファクターに支配されている限り、世界は強奪社会とファシズムの再来を避ける事はできない。ロシアからウクライナを強奪しようとしたNATOとEUは作戦を完了する前にロシアにクリミアを強奪された。このチェスボードはプーチンが有利に駒をおいている。西欧列強と言っていつも名の出る米国、英国、フランス、ドイツは経済封鎖という自分たちの首を締める選択しか無い。ここでも国境を超える投資(列強にはウクライナの発展のための圏内化と言われている)が善であるとするグローバル資本主義は強者の裨益を丸出しにしてしまった。
ソロスは結局強奪社会を許容している。これも私と同じ結論だ。好き嫌いではなく、善悪ではなく、許容せざる得ない世界の扉が開いてしまったのだから。