公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

使命を綴る言葉が失われている(10年前の記事ピックアップ002)

2021-06-05 13:27:00 | ドラッカー
イエズス会の司祭とカルヴァン派の牧師は、重要なことを行うときには期待する成果を書きとめておくことになっていた。そして九ヵ月後、実際の成果と比べなければならなかった。」

   ドラッカー
======

日本政府にも見習って欲しいものだが、使命感の無い輩には言い訳百出で、それを監視する立場の国民には使命を糾す言葉が失われている。多くの政治家には正面から非国民と言おう。



 この國にはまずは、言葉の復活が必要だろう。
 日本は必要なのか。
日本は国民國家なのか

 それは何のための國家なのか。
 これまで父祖祖先の命をかけた努力や奮闘、犠牲は誰のためだったのか。
 これからの自分たちは、誰のために働いているのか。
 今、国民として継続継承すべき使命は何なのか。
 そのために今われわれは國家の何を保存し何を選択し将来に残すべきか
 其れはどう為されるべきなのか。

 選択する責任から誰も逃れることはできず。
 責任は最終的に我々自身と子孫がこの地で負う。
 以上の覚悟が政治にあるか。

 人口 経営資源 水資源 国土領海
 これらは最低限必要なことだろう
 何よりも守らなければならないのが国語としての日本語 皇統
 
 こういう基本的な問いを右翼思想といってかたずける連中が世論を支配している限り、日本はイエズス会を越えられない。民族意識を劣化させるには言語と食生活と宗教を侵食するのがイエズス会の常套手段だった。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中国がアメリカに払わなけれ... | トップ | Bush nonprofit agreed to ta... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。