現代日本史については殆ど明らかにされることはない。
表面上の事件簿を精密な年表にしても本質は何もわからない。何故なら本当の歴史の担い手の固有名詞に出会えないからだ。天川勇など普通に新聞を読んでいても出会う固有名詞ではない。読書遍歴と詮索が知る機会を与えた。それらも一人や二人ではないはずだ。印刷された本質の露呈に出会うまでは仮説である人物像は半信半疑である。学問やイデオロギーが役に立たないのは現在を歴史的に積み上げて説明できない場合であるといつも思っている。そういう疑いを武器として表面上の事件簿を精密な年表にしてみるならば、整理がつく。ハマコーが《活躍した》自民党の大分裂内紛もその時はよくわからないが、仮説で再構成するとスッキリと現在の支配者がよくわかる。ずいぶん昔に流行した国家独占資本主義という言葉を使って現在を歴史的経緯と必然で説明できるかというと全く説明できない。仮に国家が資本投資を支配しているならリーマンショックは国家の失敗だが、救済を国家権力で行う金融政策と国家の失敗は次元が違う。リーマンショックは明らかに民間の失敗である。
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