遺言書
遺言者 は次の通り遺言する。
前列左から三番目。誰にも若い時代がある。若い時にはわからないことが、今もわからない。そういう老人ばかりだ。
老年はそうやって、わからないことにわかったふりをしないように気〜つけながら、わからない若さを保つしかない。
昔から評論家はその場のうまいことばで乗り気って、過去の発言は責任を問われずに過ごす。若い人々は大人の汚い言論や原理主義に免疫がない。若者は歴史を知らないのだ。日本には大きな秘密があり、教師も大人もその時代の知識人もどれくらいいい加減なことを言っているのか自分では知らない。
例えば8年前岩谷巌は2周目のグローバリゼーションは中国化の必然性を飲み込んで日本の役割(その多少の修正)を以下のように文章にしている。ガンダム型の《ムラ イエ のメリット》を享受する江戸型日本ではなく、ワンピース型のチームを大きな波に接続して利益を享受する社会を想像している。
『普遍的理念とは「新自由主義」や「グローバル資本主義」ということになろうか。そして、経済においては、 終身雇用に代表される雇用保障、江戸的な「イエ」によ る生活保障の仕組みが影を潜め、ますます自己責任に基 づく自由競争が普及している。「規制撤廃」「民営化」「小さな政府」という3点セットで表現される新自由主義的 な競争原理が定着し、これまで日本人に身の安全を提供 していた家族や企業、地域共同体等の「中間組織」が空洞化していく。そうなると、個人はこれらの中間組織に 依存することは不可能になり、特定の「イエ」には依存 しないで、あくまで自己責任で食い扶持を稼ぎ出す必要が出てくる。江戸時代の「イエ」のように、たとえ理不 尽なことがあったとしても、歯を食いしばって何とか我 慢し、忠誠心を失わない限り(一所懸命)、なんとか食っていけるような社会状況は消えていき、自由市場での競争に身を投じて自分の責任で食い扶持を稼ぐという中国的な状況が不可避になるというわけだ。
このように考えると、たしかに、日本は「中国化」しつつあると言えるのかもしれない。與那覇氏は「私は日本の『中国化』自体を歴史の必然と見る立場です」(『中国化する日本』266ページ)と断言している。それが歴史的必然である以上、日本人は「再江戸化」という幻想、 あるいは、「再江戸化」への郷愁を捨て、新自由主義の理念によってグローバル化が進む世界の大きな流れに身をゆだねるべきだという結論になる。これが良いとか悪いとかいうことではなくて、それが「歴史的必然」だとい うのである。』
大きな波に接続して利益を享受する社会は海賊の社会。奪う側にだけメリットがあり食い尽くして終了する。それが支那のリセットダイナミズム。支那の歴史はこれを繰り返し拡大してきた。周辺の銀を吸い尽くして元が滅び。世界の生き血を吸って中共支那が滅ぶ。
中華人民共和国74年の歴史を振り返れば、黴や細菌のように周辺国(地域を含み)の養分(資源、労働力)を吸って適者生存してきた。中華グローバリズムは養分利害ネットワークの美化。極東に唯一残された最後の養分供給者が日本(資源、技術、人間)ということである。媚中政治家は駆除対象。
実のところこういう動きは習近平中華皇帝が生まれて公の発言では言えなくなってしまった。たった8年でトランプが登場し、コロナを漏らした中華皇帝は世界の敵になった。中国派岩谷巌は国民国家の放棄再江戸化を諦めろと言っていた。
京都の路地にも中華の地上げの金が浸透してきた
日本の美