公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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古典を学ぶ 

2024-03-17 21:05:00 | 窮鼠の嗜み
AI要約

この文書は、古典を学ぶことの重要性について述べられており、古典が暇つぶしになるだけで充分だと主張しています。さらに、人間の性質や社会についての考察が含まれています。また、様々なカテゴリーに関するブログ記事がリストされています。

昨日のことは古典ではなくても、昭和の前半のことはもう十分に古典でしょう。歴史的仮名遣いは古典です。昭和44年に貰った祖父からの手紙は小四では読めませんでした。

古文漢文教育が

役に立っているか 役に立っていないか

たびたび出る議論ですが、実は私はどうでもいいと思っている。

何より古典は暇潰しになる。人間は変われないと確信するだけで価値がある。

人生は長い暇潰しです。何かを成し遂げる機能的人生を選ぶ人はほんの僅かです。その中で最後まで合理主義をやり抜く人はもっと少ない。多くは途中で目標を忘れてぼんやり歳をとります。
常識的に暇潰しが、いけないことととるのではなく、むしろ積極的に不愉快な社会を作らない知恵と思うのです。

誰もが目的に収斂するように自分や他人にヤイヤイ言われる社会が住み易いとは思えない。

暇潰しとはいえ、スマホに吸い込まれていたらその間は不愉快はない。古典の暗唱も暇潰しですわ。スマホを取り上げられて投獄されようとも、入院中でもできる。いつでもできる。脳の中で噛んでいる無限ガムの様なものでしょう。無駄といえば無駄なので、他のもので脳内無限ガムを代替できるのなら、それを採用するのもいいでしょう。


以下参考になれば悩むことはない
しかし、これじゃ年をとってから
古典を勉強する動機づけにはならないよ

わが子に「なぜ古文を勉強しないといけないのか」と問われた時の頭のいい親の"返答フレーズ"3パターン 元カリスマ古文講師「そういう人は古文以外の科目に変わっても勉強しない」

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TV番組でのカンニング竹山氏の「古文が人生に一度も役立ったことがない」という発言が、SNSで物議をかもした。「古文が必要か否か」という議論は、今に始まったことではない...

PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 


元良親王

わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ

ーー

大弐三位

かれかれなるおとこのおほつかなくなといひたりけるによめる
ありま山ゐなの篠原風吹は いてそよ人をわすれやはする

昔から人間はこうだったな。何も進歩していないな。これでいいです。古典は暇潰しになるだけで十分なのです。


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