乙羽信子さんがインタビューされるかたちで50代半ばに半生記として振り返っての作品。やはり重いのは新藤兼人と養父、養母、実の父母の話。そして演技に目覚める愛妻物語。以下はイントロ
「みなさん、私は映画の脚本を書いているシナリオライターです。私は映画の脚本を書き始めてから、もう10年余りになりますが、才能も貧しくてまだこれという作品を書いておりません。しかし、私は映画を愛しております。いつかはいいシナリオを書きたいと努力しています。でも一生そう思いながら死んでしまうかもしれません。それでも私は満足です。この物語の私の妻がそう教えてくれたのです。私は苦しいことに出会うたびに、妻の言葉を思うて勇気を奮い起こしてまいりました。これからもずっとそうだろうと思います。いつも映画を観てくれる皆さんに、シナリオライターの物語もたまには興味があっていいのではないかと思います。ではみなさん、平凡なシナリオライターの小さな物語を聞いてください」沼崎敬太 演、宇野重吉
この言葉は新藤兼人の亡き妻への言葉である。この言葉の通り新藤兼人は家族原理主義者なのに、乙羽信子を日陰の愛人兼女優にしていた。実に大きな精神的矛盾の間に新藤兼人は立っていた。本人は120%納得しているので、かわいそうとは思わないが、その新藤の矛盾を知って知らないふりをして沈黙していた乙羽の耐え忍ぶ才能がすごい。沈黙に勝る雄弁はない。凡人は沈黙に耐えられず声を上げてしまう。新藤兼人も苦しかったであろう。
久我美子 有馬稲子 岸惠子 1955年
1931年1月21日生れ 1932年4月3日生れ 1932年8月11日生れ
追補2024/06/14久我美子さんが亡くなったそうです。
年齢の近い八千草薫さんは1931-2019年